女性は保守的といわれる。しかし、こと亭主に対する限り、彼女は自己の環境に満足したことはない。彼女はたえず亭主の能力(能力というのは月給の額です)、家族の能力(テレビがあるか、洗濯機があるか)を近所隣家や自分の友人、同級生などと比較する。「あのうちじゃ便所が二ケツあるのよ。それなのにウチは女便所しかないじゃないの」
そんなつまらんことまで、彼女たちは自分に夫が加えた侮辱と考えこもうとするのである。そこで亭主が女便所のほかに男便所も建てたとしても、彼女は決して満足しない。さらに比較すべき家を二百メートルさきの所に発見してくるのだから、まったく始末におえません。「岸さんのお家には便所が三つもあるんですって。二階に一つ。一階に二つ。うちは一つしかないじゃないの」
大臣官邸の便所の数と比較されれば、どんな男だって黙らざるをえない。この比較論理は亭主の「能なし」「働きがない」に始まり、働きある亭主に対しては教養がないと罵り、教養ある亭主には男性的魅力が欠けていると侮辱するあの女房的理屈に無限に展開してゆくのです。