第一の方法は兵糧攻めである。兵糧攻めといっても、勿論、女房に食事を与えないなどということではない。孫子によってあみだされた兵糧攻めが、敵方の糧秣のすべて尽きるのを忍耐強く待って、相手が弱り果ててから攻勢に移るように——女房がワンワン、キャンキャン怒鳴っている間、諸君は沈黙、ただ沈黙に出るべきです。ふかくふかく頭を垂れ、あたかも恭しく謹聴しているような顔をして、心の中では東京から大阪までの駅名でも思い出しておけばよろしい。
やがて一時間後(どんなに長くても二時間)女房は言うべきことのすべてを言い尽し、顔面神経も口舌神経もこれことごとく疲れ果てるでありましょう。この時の女房の心理は如何。
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(1)心の中のスベテを吐きだしたという満足感。
(2)亭主に少し言いすぎたのではないかという多少の後悔。
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の二つがあるにちがいないのです。われわれ亭主が攻勢にうつるのは、まさしくこの二つの心理に乗じてである。相手は口が疲れている。言いたいことをば、みんな言ったという心のスキがある。言いすぎたのではないかという多少の後悔がある。ここを狙って諸君が理路整然と相手をたしなめるならば、戦況はまさしく逆転するのである。「あたしも言いすぎたわ」と思わせるように、言葉を運んでいけばそれでいいのである。ただし、この際注意すべきは、
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(1)女房の自尊心を傷つけざるよう言葉の選択に注意すること。
(2)いつまでも長く女房を攻めてはならぬ。つまり兵をまとめて引上げる時が大切だ。
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とルリイ先生は特に注意されました。
第二の方法とは感傷的演出である、と先生は更に説明されます。
感傷的演出とは女房のもつ母性愛をチョト利用する(少し卑劣な)方法だそうです。兵糧攻めの場合と同じく、この際も女房の説教中は沈黙、決して逆らわないことが肝要。女房の口が疲れ果てたる後、諸君はいとも辛げな、寂しげな表情を顔面につくり、部屋の窓に顔でも押しあてて、眼をしばたたきながら、ジイッと庭でも見ることです。(心の中で幼年時代の夕暮、耳にしたサーカスのあわれ寂しいジンタでも思いだせば、表情が憂愁にみちてくるものである)
諸君のその孤独な寂寥たる姿をみて女房はどう感じるでありましょうか。彼女は子供を叱りすぎたことに気づいた母親のように、何だか自分が悪かったような気がしてくるにちがいない、言いすぎた、ヒステリーを起しすぎたと思うのが普通です。まもなく彼女は有形無形の形で夫の機嫌をとるものである。(その晩の食卓に酒を一本つけてくれるなど……)