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(1)女房の母性的感情を自分にむけさせるよう努めること。つまり自分を亭主としてではなく、男の子供として考えるように教育すること。
(2)早く赤ん坊をつくること。
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なぜか。早速その説明にとりかかりましょう。
ソテル君はこう考えた。大体世間の亭主をみていると、彼らは男として女房にたちむかうからいけない。男として女房にたちむかうから、女房の側もむきになってわめいたり、嫉妬を起こすのである。家庭における権力をとられまいと必死になるのである。ソテル君の観察によると、世間の大部分の亭主の悲劇はここから来ているように思われた。
そこで戦法をかえて、女房に対して「亭主」ではなく「子供」になる方法をとってみた。女の中には母性的な感情が、牛の乳のようにムチョムチョと溢れている。そのハリキッた乳房にチョイと穴をあけてやればよいのだ。世の母親というものは、扱いにくい子供、手のかかる子供、迷惑ばかりかける子供に対して、余計に母性的感情をもつものである。
「あの子って仕方がないわ。仕方がないから、あたしがいなくちゃ、いけないんだわ」
これが母親の論理という奴である。老獪なるソテル君はここに眼をつけた。女房の自分に対する感情を、妻の感情から母親の感情に転化すれば——手のかかる子供と同様、彼は大手をふって何でもできる。
「そこで俺は結婚以来、こういう戦法をとったのさ。たとえば女房に日曜日、日曜大工をたのまれるとするだろう」
読者も経験がおありでしょうが、日曜日、女房から台所の棚をつくってくれ、チリトリを製作してくれと、たのまれたとします。その時、大部分の亭主殿は、憐れにも自分の能力のほどを誇示せんためにトンチンカンと、立派なチリトリを作ってやる。
「それがいけないんでね」とソテル君は説明しました。
「こちとらは、わざとすぐコワれるようなチリトリを作るんだ。この人には何をやらせてもダメだと思わせるのよ」