この人には、何をさせてもダメという気持が、やがて彼女の中で亭主を「仕方のない子供」と思う感情に変えていく。つまり彼女のなかには母性的感情が次第に発生していくのであります。
こうなればもう大丈夫。亭主殿が何をやっても、女房は「この人は仕方ないんだわ。子供なんですもの」そう思うようになる。彼女の心に母性的感情が湧いてくる。彼女は亭主を男としてよりは自分の子供の一人として見るようになってくるのであります。こうすれば男のたいていの我儘にも口先だけではブツブツというが、心の底では、仕方ない、あきらめよう、許そうという心構えがあらかじめ出来上ってくるのである。
「俺たち亭主はその相手の心構えの上にあぐらをかけばいいのさ」
「ふんふん」
「やってみろよ。俺なぞは女房のこの母性愛のおかげで、随分助けて頂いたぜ」
「それじゃ、第二の『早く赤ん坊をつくる』っていう方法は」
ソテル君の説明によると、これは子供をつくることによって、夫というものは、女房に一種の愛するオモチャを与えることができるのだそうです。女という奴はなにかを愛さずにはいられない。何かを愛さずには生きていけない存在である。ところが、この女の集中的愛情という奴は、世の亭主にとって、甚だ重い荷物になる時がある。愛されるのは結構だが、愛されすぎると、どうも重くるしくなる。男の我儘な気持は、ここから時々のがれて、一人でホッと息をつきたくなる。これはすべての亭主諸君が、ひそかに御存じのことでありましょう。
「だから女房の心を分散さすのだよ」
「分散?」
「そうさ。赤ん坊をあてがえば、女という奴は夢中になるからね。むかしほど、こちらだけに気を集中しなくなるものさ。要するにスキができるのよ」
ただし……とソテル君は条件を入れました。あまりたくさん子供をつくってはいけない。あまりたくさん子供をつくると、子供のことにばかりかまけて、今度は亭主をおろそかにするようになる。これは亭主の自尊心にたえられない。
「まあ、子供は一人か二人が、この点、適度な分散をつくるようだね」
外はロンドン特有の冬の雨がふっていました。午後四時だというのに、この街では、もう電気をつけねばならぬ暗さです。ぬれた歩道を山高帽をかぶり、黒い外套を着たロンドン紳士がくたびれたような顔つきで通りすぎていく。
ソテル君と握手をして、外套の襟を立てながら歩きはじめました。これから旅をするイタリアやスペイン、あるいはアフリカでぼくはまた新しい恐妻家の話を聞くことができるかもしれません。その時はまたその時お知らせすることもあろうと、ぼくは考えたのでした。