新婚時代には若い妻は、よく泣くものである。
結婚したばかりのK君がしょんぼりしている。
「どうしたい」
「はあ、実は、昨日、恵美子に泣かれまして。ぼ、ぼく、どうしたらいいのか、わかんなくなったです」
「ははあ……」
同じような経験のある先輩はニヤリと笑う。
「どうして奥さんを泣かしたのかね。K君」
ぼくにもそれがよくわかんないんです。実は昨日、M君とE君を引っ張って戻りましてね。おい、酒を二人に出してくれないか。するとそのときは機嫌よくハイと答えてたんですが、そのうち三人でスチャラカ、チャンチャンとウイスキー飲んで騒ぎながら、
「おーい。酒のサカナがなくなったぞ」
そう言ってしばらくして台所にいったら、女房のやつ、すみでシクシク泣いてるんで。M君とE君もわけがわからず、バツの悪そうな顔をして、帰っちゃったんです。
「ふーん。それで、君、理由をきいたかね」
もちろんですよ。ぼくは初め、「友だちを引っ張ってきたことがいけなかったのかい」ときいたら、
「ちがうわ」
泣きじゃくりながら、そう言うんです。
「あいつらが気に入らなかったんだな」
「ちがうわ」
「ぼくたちが下品な流行歌をハシで茶わんを叩きながら歌ったことが気にさわったのかい」
「ちがうわ。ちがうわ」
だから、ぼく、何が何だか、わからなくなってきたんです。
「ふうん」先輩はニヤリと笑って、「仕方のないやつだなあ、新妻の気持もわからなくて。君の奥さんが泣いたのはねえ、君が酒のサカナがなくなったぞうって叫んだろ。客の前で叫んだろ。それがこたえたのさ。女なんて新妻のときは夫にも夫の友だちにも一生懸命、完全につくそうとはりきっているもんだ。その心根が君に傷つけられたのが寂しく、辛かったんだよ。わからんかね」
K君、目を丸くして、「へえ、女房なんてそんなことぐらいで泣くんですか。これからはウッカリものも言えんなあ。ぼかア、男の兄弟しかいないから、女の心ってよくわかんないんです。結婚って大変だなあ。先輩なんか、毎日、言葉づかいに注意してるんですか」
「バカいっちゃいけないよ、女房が何でもないことにも涙ぐんだりするのは新婚早々だけさ。
まあ、今にわかるけどねえ、結婚後五年七年、十年とたってみなさい。女房は泣きわめくか、泣きどなるかはするが、花嫁のように涙ぐまんよ。女房はたくましくなるよ。強くなるよ。
結婚後十年たった女房の右腕なんか、実に太いもんだぞ。あたしゃ、毎日赤ん坊を右手に抱いて買い物かごさげて市場に行ったんですからね、腕が太くなるのも当たり前ですよ。そう言っとるよ。うちの細君は」
先輩はK君にそう説明したあと一人で考えた。うちの女房も新婚のころは泣いたなあ。真珠のような涙をポロポロこぼして泣いたなあ。そのときはあいつも色気があって可憐《かれん》でありました。今だって泣かんことはない。しかしその泣きかたたるや、ウワア、ウワア、ゴオーゴオ、さながら野ネコのトタン屋根でわめくがごとくであって、おせじにも色気あり、可憐なりとは言えねえや。
おれだって男だからな。宴会の席上でワイシャツに口紅をつけられることもある。ポケットの中に友人とやったマージャンの借用証の入っていることもある。ボーナスからちょいとヘソクリをごまかすこともある。
しかし、これは男たるものの八十パーセント(いや、ひょっとすると九十パーセント)はやっておることである。にもかかわらずそれを見つけたとき、天下の苦痛を一身にあびたように、ウワア、ウワア、ゴオーゴオ、泣かれ、わめかれ、どなられては、「チェッ、うるせえや」
どんな夫でもどなりかえしたくなるものである。大体、結婚して五年以上たった女房の泣き顔には全く色気も可憐さも発見できないと思うのが世の男性の意見だと思うが諸君、どうであろうか。(ヒヤヒヤ、賛成。全く同感の声多数あり)
全くしかり。結婚後五年以上の女房の泣き顔は。駄菓子屋のセンベイのごとくゆがみ、みにくく、こちらには何の効果もないものである。五年以上たった女房は、亭主の素行をあらためたければ、泣くなとわが輩は声を高くして言いたい。(ヒヤヒヤ、賛成万歳。全く同感の声多数あり)
けしからん話である。こういう先輩をもつと、K君もあと四、五年でタチのよくない亭主になっていくであろう。そこで遠藤周作氏が世の奥さまたちに涙の使い方をそっとお教えしたい。
新妻時代にはすぐ涙ぐむのも武器になる。しかし、この武器は長くて一年、早くて三ヵ月で無効になるとはっきり言っておきましょう。それ以後は普通の夫婦の場合、涙は今のけしからん男の言うように亭主にはほとんど効果がないのみならず、むしろ彼をいらだたせ、不快にさせ、(またヒスを起こしやがってよう)そう思わせかねないのである。
では彼の言うように妻たるものは泣いてはいけないのか。いやいや、決してそうではない。だが、有効な泣きかたを選ばねばならぬ。
どんな女房にも泣きたくなるような夫の仕打ちが一生に幾回かは、あるものである。たとえばあなたのご主人の寝小便の癖が治らん場合とか——失礼、そういうことはないだろうが競馬競輪にふけりすぎるとか、大酒のみだとか、女遊びがあったとか、場合場合によって違うだろうが、そういうとき、わめき泣いたり、どなり泣いたりしてはほとんどムダであると言ってよろしい。それよりも当分、じっと黙っていなさい。黙って今まで通り、一生懸命に夫のために尽くしてやりなさい。すると夫のほうだって心の中ではヒケ目を感じるものである。おれは悪い奴だ、仕方のない男だと思いだすものである。そういう風に男が考えだしても、彼はまだ、競馬にふけったり、女と遊んでいるだろう。
そのとき、ある日、あるときをえらんで(このタイミングが非常に大切)、あなたは泣くのだ。ギャアギャア、ワアワア泣いてはいかん。黙って(いいですか、黙って)彼の顔をじっと見つめ、黙って、ポロ、ポロッと涙が頬を伝わっていくような泣き方で泣くのである。そして黙っている。黙っている。これは夫に絶対、効果がある。遠藤周作、保証してよい。絶対、効果がある。やってごらんなさい。