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ぐうたら愛情学113

时间: 2020-10-10    进入日语论坛
核心提示:愛の男女不平等について  港と船・女と男 私は昨日まで九州の天草の島に行っていました。キリシタンの殉教史や迫害の歴史で有
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 愛の男女不平等について
 
  港と船・女と男
 私は昨日まで九州の天草の島に行っていました。キリシタンの殉教史や迫害の歴史で有名なこの島に本渡という市がある。市といっても小さな漁港と九州本土の三角からくる船がつく港にそって小さな町があり、その町の背後に小高い丘があります。むかし天草四郎に率いられたキリシタン軍とその城との間に血みどろの激戦が行われた丘ですが、今はそこも荒涼として、ただ小さな碑と、白い十字架とがたっているだけです。
 黄昏、その白い十字架のたつ丘の上に腰をおろして、私は夕靄につつまれていく港と、暗い灯をにじませて港を出ていく小さな船をじっと見ていた。それを見つめながら、私は人生というものを考えたが、その人生の考えのなかには、男と女との関係ももちろん含まれていました。
 暮れなずむ丘の上から、港とその港を出ていく船を見おろしながら、私はなぜ男と女とのことを考えたのか。それは別に一時の思いつきや感傷ではない。私自身の「男と女との関係」についての前からの考えが、夕暮の港と船とのイメージに投影したからです。私には運命という大きな海に乗り出していく船が男に見え、その船が出発し、また傷ついて戻ってくる港が女だという古風な考えが頭にあったからです。
 なんだ、それだけのことかと、あなたたちはおっしゃるかもしれません。たしかにこのイメージは古風で単純にちがいありませんが、しかし私には確信があります。
 ながい歴史のあいだ、男と女とはいつもこのような港と船との関係だったし、今後、社会がどう変ろうと、どう改善されようと、どんな革命が起ろうと、男は運命という黒い未知の海に乗りだしていく船であり、その船が傷ついて戻る場所が女という港であることは、永久に同じだろうと思います。そして傷ついた船は傷がなおれば、ふたたび港を棄てて、海に出ていくでしょう。彼が港に戻ったまま、もはやそこから離れないのは、老年の時か、死の時だけであります。これが今日までの男と女の本質的な関係であり、今後の本質的な関係でもあると私は思っているのです。
 天草の白い十字架のたつ丘に腰をおろして、私はそんなイメージを思いうかべましたが、今一つ、私は男女の本質的な関係をみごとなイメージで描いた映画をここですぐ、あげることができます。すこし以前のことになりますが、おそらくみなさんもよく御存じの『道』というイタリア映画です。あの映画はその甘悲しい音楽のために、ずいぶん感傷的に日本では見られましたが、本当はずいぶんおそろしい映画なのです。なぜ、おそろしいか。それは男と女の、永遠に変ることのない関係の原型[#「原型」に傍点]がそこにはっきり描きだされているからです。
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