深夜、空きっ腹を抱えて近所のカフェに入る。メニューを眺めているだけで涎《よだれ》が垂れそうになり、「ああ、これも食べたい、あれも食べたい」と、幸福な逡巡《しゆんじゆん》にしばし身を浸す。
ところが、いざ注文しようとすると、頭の片隅から聞こえてくる荘厳なる声が私を制止するのである。
「痩せよ!」と。
その声を聞いた途端、女王様はハッと我に返る。幸福なる逡巡に浸っていた我が身はザバリと冷水を浴びたように硬直し、メニューに並ぶ美味しそうな料理は恐ろしき脂肪の怪物のイメージと化して唸り声をあげつつ襲いかかってくる。
空っぽの胃袋は暴れながら泣き叫ぶ。食いたい、食いたい。ダイエットの神は剣を振り上げて声高に命じる。痩せよ、痩せよ。
「食いたい! 食いたい!」
「食うな! 食うな!」
そのせめぎ合いは毎夜繰り広げられ、どちらが勝つかは決まっていない。たとえその場はダイエットの神が勝っても、数時間後に空腹の悪魔から手酷い逆襲を受け、煎餅を貪《むさぼ》り食ってしまうこともある。
女王様は両者の間に挟まれて揉みくちゃにされつつ、ふと思うのだ。ああ、この想いは、以前に何度も体験した覚えがある。買い物の悪魔と理性の神が戦っていた、あの頃。
「欲しい、欲しい、欲しい」
「買うな、買うな、買うな」
戦いが熾烈《しれつ》であればあるほど、悪魔が勝利した時の暴走ぶりは常軌を逸した。あの際限なき戦いと暴走を、私は今、ダイエットで再現しているに過ぎない。
しかし、それは一見すると「欲望」と「理性」の戦いという同じ構図に見えるのだが、よくよく観察してみれば、神と悪魔の立場が逆転していることに気づくのである。つまり、「欲望vs.理性」ではなく、これは「ナルシシズムvs.自己保存欲求」の戦いなのだ。
ブランド物が欲しい、高価な物で着飾って周囲の羨望の視線を集めたい、というナルシシズムの声が、私の中に浪費の悪魔を産み出した。それに対して「買うな」と命じる神は、破滅を恐れる「自己保存欲求」の声であった。
一方、ダイエットの場合はどうか。私は自分が健康に悪いほど肥っているわけではないことを重々承知している。それでも「痩せよ」と命じる神は、スリムなボディラインで他者の羨望の視線を集めたいというナルシシズムの声なのだ。そして、その神に対して反抗し、思いのままに食いたがる悪魔は、私の体力を維持しようとする「自己保存欲求」の化身に違いない。
そう。買い物|嗜癖《しへき》の頃の私にとって「欲望の悪魔」であったナルシシズムは、ダイエットにおいては「理性の神」を装っている。まるで「食べたい」という低劣な欲望と戦う謹厳なる正義のような顔をしているが、その正体は「痩せて美しいと思われたい」という浅はかなナルシシズム。「他者の目にどう映るか」を至上価値とするおまえは、食欲を抑圧して痩せろ痩せろと命じ、物欲を刺激してブランド物を買い漁らせ、結果、本来快楽であるはずの食事も消費も何もかも悪夢の戦いに変えてしまったのだ。
ナルシシズムとは何か。それは、他者の視線を満たすことだけを欲求する空っぽの自己なのである。