人から認められたい、賞賛されたい。同性からは羨望され、異性からは欲望され、誰からも好かれるパーフェクトな人間になりたい。そのためには美しくあらねばならず、センスもよくなくてはならず、知性と才能を発揮できる何かしらの表現手段をも持っていなければならない。
このような不可能とも言えるほど過剰なナルシシズムの欲求を満たすため、女王様はありとあらゆる愚行と浪費に身をやつして来た。女王様にとって大切だったのは、自分が自分をどう思うか、ということよりも、他人が自分をどう思うか、という判定だったのである。
ナルシシズムの欲求とは、他者の肯定に満たされることで初めて自分を肯定できる、言い換えれば、他者に肯定されなければ永遠に不全感を伴う「空っぽの自己」の表れなのだ、と、ようやく今にして、女王様は思う。そんなこと誰でも知ってらぁ、何を今さら得々と言ってやがる、と嘲《あざけ》る賢人も数多くいらっしゃるであろうが、私のような愚者は自分で地獄を見ないことにはそれを実感できないのである。
そして、そのような「空っぽの自己」に苦しめられている人間が女王様ひとりなら何も問題はないのであるが、「他者の視線を通してしか自分を規定できない」不安定な自意識に揺れ動いた挙句、自分の身体まで自分の物として認識できなくなってしまう女性たちが多く見受けられることに、他人事とは思えない痛みを感じてしまうのであった。
自分の身体が、もはや自分の物ではなくなる……それはどういうことかというと、たとえば安野モヨコという漫画家の『脂肪と言う名の服を着て』という漫画を読めば、そこに私の言う「女の自意識とボディイメージの闇」がリアルに描かれているのである。
「太ってたら、ずっとバカにされ続けるんだ」と考えたヒロインは、痩身エステに通い、食べ吐き行為を繰り返して、急激に痩せていく。ところが、痩せた彼女を周囲は受け容れるどころか、女友達に「気持ち悪い」と罵《ののし》られたり恋人に捨てられたりして、ヒロインは周囲から散々な拒絶に遭うのだ。その挙句、「私が太ってないと、周りの人が安心しない」と考えた彼女は再び元の肥満体に戻り、痩身エステの女店長から「あきれた! あなたの身体なのよ!」と言われる。私は、この女店長の台詞こそが、この作品の中の白眉であると思うのだ。
他者の視線を通してしか、自分の身体が「痩せているべきか、太っているべきか」を判定できないヒロイン。どれくらいの体型が自分にとって快適であるか、自分の身体感覚としての適正体重は何キロ程度なのか、もはや彼女には実感できない。実感できるのは、他者の視線だけだ。だからこそ彼女は適度なところで踏みとどまれず、極端に痩せ細ったり過剰に太ったりしてしまうのである。
諸君、これは彼女だけの問題であろうか。少なくとも女王様には「他人事」と思えない。何故なら女王様もまた、他者の目に映る自分のボディイメージにこだわるあまり、自らの肉体に苦痛を課してまで「美容整形」するバカ女だからだ。その結果、女王様が何を得たか? 次号は、それについて語りたいと思う。