自分の身体が自分の物ではなくなる……「美容整形」とは、まさに、それを自覚的に実践する行為である。
女王様の「顔」は、もはや「自意識の延長線上にある」という意味での「自分の顔」ではない。目の形にも鼻の高さにも顔の輪郭にも手を加えたこの顔は、もはや「タカナシクリニックの作品」であり、「本来の私」ではない。したがって、ブスと罵られようが、美人と褒められようが、その評価は高梨院長の腕前に帰するものであって、「私という人間のカタチ」に対する評価ではないのだ。
「お綺麗ですね」と褒められたら、「これ、作り物ですからねぇ」とニッコリ笑って答える。その瞬間、女王様の全身に、えもいわれぬ解放感が満ち満ちるのである。以前は、顔を褒められたら褒められたで、「本気で言ってるんだろうか? お世辞を真に受けて喜んだりしたら、たいそう間抜けに見えるんじゃないか?」などと心の中で葛藤し、何とも居心地の悪い想いをしたものだが、整形後はそんな悶々とした境地からも自由になった。「美容整形」によって女王様は「自分の顔」に対する責任から逃れ、さらに、「ブスだ、美人だ」と判定したがる他者の視線からも解放されたのだ。
むろん、「美容整形なんかしたバカ女」という謗《そし》りが新たに加わることにもなったワケだが、それに対しては「そうですよ。私は美容整形なんかしたバカ女ですよ」と自分で思っているので、自己評価と他者からの評価がずれることもなく、いたって平静な気分で謗られていられるのであった。
人がもっとも傷つくのは、自分でも目を背けている部分を、容赦なく他者から指摘されることである。自分がブスであることを受け容れられるほどの大人物ならともかく、あまり受け容れたい気分になれない私のような人間にとっては、他者から「ブス」と言われることは「おまえには女としての価値がない」と言われたも同然で、全人格すら否定されたような苦痛に結びつくのである。
これは「ブス」だけではなく、たとえば「デブ」であるとか「ハゲ」であるとか、とにかく「容貌に関する誹謗《ひぼう》」すべてに当てはまる、と、女王様は考える。
たとえば「デブ」にも二種類あって、「楽しそうに太ってるデブ」と「苦しそうに太ってるデブ」がいるのである。これは「太りすぎて息が苦しそう」とかいう意味ではなく、「本人の自意識が苦しそう」という意味だ。「私はデブを気にしてませんよーん」と口で言いつつも、じつは「私がデブだからって、皆、バカにしてるんじゃないだろうか。冗談じゃないわ。私はデブだけどモテるし、頭もいいしセンスもいいし、あんたたちにバカにされるような女じゃないんだからね」などと言わんばかりに周囲を睨み回しているデブは、しょせん「他者の視線」から自由になれず、その自意識の息苦しさが伝わってきて、こちらまで苦しくなってしまうのだ。
こういう人は、脂肪吸引でも何でもして、素直に痩せるべきだと私は思う。自分の容貌を背負えない者は、自分を別のものに加工してしまうしかないのである。