「自分の容貌を背負えない者は、自分を別のものに加工してしまうしかない」と、前回、女王様は言い放った。自分でも、ずいぶんと乱暴な言い草だと思う。現代の医学では手の打てないような容貌上の問題を抱えた者はどうすればいいのか、という問いが、当然、ここには立ち塞がるであろうし、それに対して女王様は、正直、返す言葉もない。
しかし、これといった重大な欠陥もなく生まれてきた者が、他人よりも多少見栄えが悪いとか太っているとか、あるいは果てしなく凡庸であるとか、そのような欠陥とも呼べぬような些細な差異にくよくよと悩み、自意識の獄に囚われている状態を、必ずしも「贅沢な悩み」だとか「くだらん煩悶」だとか言って切り捨てることも、女王様にはできないのである。何故なら、その苦しみが本人にとって、やはり苦しみには違いないことを、些細であるからこそ救われない状況でもあることを、女王様は身をもって知っているからだ。
「人間を容貌で判断するのは恥ずべきことである」と、我々は教えられた。「人は外見ではない、内面なのだ」と。確かにそのとおりなのであるが、一方で、人はやはり容貌に左右されてしまう生き物ではないか。そろそろ我々は、そのお恥ずかしい事実を、しぶしぶ認めなければならない時期に来ているのではないか。それを認めず、相変わらず「人を外見で判断するのは低劣だ」と口先だけで言い続けていると、それはすなわち「たかが容貌なんぞで、くよくよと思い悩むなんてバカだ」という理屈になり、己がブスであると悩む人間は「ブスのうえにバカだ」ということにもなって、結果、ますます救われない状況になるのである。
で、バカだと思われたくないばかりに、自分の容貌コンプレックスを必死で糊塗《こと》したり、あるいは克服しきったふうを装ったり、そんな無理なことをするもんだから、その内面が歪みきってしまった女たちを、私は何人も目にしてきた。もちろん、私自身にも、そういう傾向はあったと思う。彼女たちの苦しみは、切実だ。もう、じゅうぶんだよ。やめにしようじゃないか。
「外見ばかり気にかける人間は軽薄でバカだ。人間は内面だよ」などと言ったその口で、他人を「ブスだ、デブだ」と陰口叩く、その矛盾に満ちた底意地の悪い行為をこそ、我々は恥じるべきではないか。
いくら綺麗事を並べたって、人間はついつい他人の容貌を採点してしまうものなのである。それは是か非かといえば非に決まっているのであるが、それでも悲しいかな、我々は「容貌による差別」から逃れられない。他人に差別されながら、自分もまた他人を差別しているのだ。それを否定するのは、カマトトというものである。
以前、容貌による差別を受けていたのは、専《もつぱ》ら女たちであった。だが今は、女たちの選択権が強くなってきたため、若い男たちも、やれ髭が濃いの目が小さいのと思い煩《わずら》っている。いい傾向だ。青年よ、もっと悩め。そして「容貌とは何か」を、女王様と一緒に考えてくれないか。その答が、多くの人間を救うのだから。