腋の下に注射したボトックスが切れてきた……と、このようなことを唐突にボヤかれても、民草においては何のことだか、とんと見当がつかぬであろう。そもそも顔面のシワ取りに使われるボトックス注射を、女王様は何故に腋の下なんぞに打っているのか?
じつは、ボトックス注射を腋の下に打つと、発汗を抑えてくれるのである。女王様は人一倍汗かきで、そのことが激しいコンプレックスになっている。人間だから汗をかくのは当然じゃないか、と思われるであろうが、しかし、パステルカラーの服など着ていると腋の周囲に汗ジミができて変色してしまい、服が台なしになってしまうのだ。いや、べつに服が台なしになってもいいが、それよりも気になるのは「他人に不快感を与えてしまう」という事実である。
民よ、人間の自然な発汗現象を「汚い」と感じてしまう女王様の感覚は、いかにもおかしなものであることよのぉ。だが、そうは言っても、女王様は自分の汗が恥ずかしい。今までに他人から「うわぁ、すごく汗かいてるねぇ」と指摘されるたびに、身の縮む想いをしてきた。べつに相手がそれを汚いと非難しているワケではなくとも、勝手に身が縮んでしまう。そして、明らかに「汚い」という意味で言われたことも何度かあり、それはもう深く深く傷ついてしまうのであった。
「うげっ、汗びっしょり! 気持ちわりぃ〜!」なんて、悪気はなくとも反射的に言ってしまうものである。女王様だって、見知らぬ他人の汗でベトベトした身体に触ってしまうと、「げっ」と思ってしまうのだ。他人に対する生理的嫌悪……これを克服するのは難しい。それを知っているから、自分が汗かきでベトベトしてしまうことを、そしてそれを他人が不快に思ってしまうことを恥じ入り、汗かきの自分への嫌悪がつのるのである。
「人間が汗をかくのは当たり前だ。それを汚いと感じるほうがおかしいし、きわめて不当な差別ではないか。汗かきは差別に屈せず、恥じることなく堂々と汗をかいた身体で歩け!」
と、このような正論を振りかざしても、人間の根源的な「他者への生理的否定感」を払拭することなど不可能である。
人間は他者に対して如何ともしがたい拒否の感情を持っており、体臭や体液や触感(他人の息が顔にかかったりすると、すげぇ嫌ですよね。べつに臭くなくても)や、そういう生理的なものに嫌悪感を抱いてしまう生き物なのだ。何故だか知らんが、そういう「他者嫌悪システム」が奥深く埋め込まれているらしい。そうして、自分が他人を生理的に拒否してしまう気持ちは、そのまま己自身にも跳ね返り、自分の体臭や体液や触感を激しく恥じ入ってしまうはめになるのである。これによって、自意識はますます固く小さく縮こまり、他者との距離はどんどん遠くなっていくのであった。
しかし、これって、かなり最近の傾向ですよね。昔の日本人はもうちょっと他人に対して大らかだったような気もする。皆で箸を突っ込む鍋料理文化なんか見ても、他者への生理的嫌悪が今よりもずっと希薄《きはく》だったに違いないのだ。核家族化のせいかなぁ。それとも逆に人口密度のせい?