民よ、女王様は本日、港区役所と渋谷区役所をハシゴして、ようやく遷都の手続きを完了した。「電話加入権」の差し押さえに関しては「次に引っ越して来る人に迷惑がかかるから」と説得して何とかしてもらったが、その代わり、新居の敷金を丸々、差し押さえられることとあいなったのだった。いろんなモノを差し押さえるんですね、お役所って。勉強になるわ。
一方、夫は毎日、ダンボール箱をせっせと開けては片付けている。タグがついたまま着ないで放置していた服が箱の中から続々と出現し、しかもその服にまったく見覚えがなかったりするもんだから、
「あんた! こんな服、いつ、どこで買ったの!?」
「さぁ……どこの服?」
「ジャンフランコ・フェレ。もしかして、買った記憶ないの?」
「ないねぇ」
「じゃあ、貰い物?」
「いや、たぶん私が買ったんだと思うけど……」
「記憶喪失なの、あんた」
このような会話が一日に何度も交わされる。しかし本当に、買った覚えも見た覚えもない服が出て来ると驚くよ。もしかして、私、多重人格かも……と、半ば本気で思ってしまう。
女王様が高校生の頃、三田佳子主演の『私という他人』というTVドラマにいたく感銘を受けた記憶がある。そのドラマの中で、内向的なヒロインの三田佳子が、クローゼットの中に見覚えのない派手な服を見つけてギョッとするシーンがあった。その時の彼女は、それが何を意味するのか理解できない。が、それをきっかけとして、自分の知らない「もうひとりの自分」が陰で奔放に遊びまわっているという衝撃の事実に徐々に気づいていくのである。
自分の買った服を全然憶えてないなんてあり得ない、この人は本当に病気なんだ、と、当時十六歳の女王様は無邪気に感心した。まさかその三十年後、自分が買った覚えのない服を目の前にぶら下げて愕然としているとは思いも寄らなかった。人生というのは、ホント、何が起きるかわからない。多重人格などという珍しい症状ですら、対岸の火事とは限らないのである。まぁ、もちろん女王様は本物の解離性人格障害ではないし、「そんな気分がする」という程度であるが、それにしても「そんな気分」さえ三十年前の自分には理解不能であったのだ。
三十年前の私は、自分というものを全然知らなかった。今だって、自分が何者であるのか、まったくわからない。これから先、どんな自分にギョッとさせられるのかと思うと、生きていくのが怖くなるほどだ。クローゼットを開けて見慣れない服を見つけ、自分という名の他人の存在に怯えるくらいなら、まだマシだ。もしかすると、ある日、クローゼットの中から包丁を振りかざした自分が躍り出て来るかもしれない。あるいは、クローゼットの中に、自分が殺した誰かの死体が転がっているかもしれない。その死体を恐る恐る引っくり返すと、それは自分の死体であるかもしれない。
民よ、女王様は夢想する。消息を絶った女王様を探して、港区の滞納整理マンが部屋に踏み込んで来る様子を。そうして彼らが、クローゼットの中から、恐ろしい形相の女王様の死体を引きずり出すシーンを……。