バイアグラとプチ整形は、全国のオヤジとオバサンに、「まだまだ諦めない」という良くも悪くも前向きな姿勢を与えたと思う。そう、現代人は諦めることを放棄したのだ。老いとともに、自分の肉体的機能や外観が「ままならないもの」になっていく事実を、昔の人は仕方なく受け容れていたのであろうが、我々は「受け容れずにとことん抗《あらが》う」という選択肢を得た。
その結果、いくつになろうと、男はますます「性的機能」に「男性の尊厳」を賭け、女はますます「美貌」に「女性の価値」を見いだすこととなったのである。つまり、男女ともに「異性に愛されること」が重大な課題となってきたわけで、これが現代人の自意識に大きな変革をもたらしたことは明らかであろう。「バイアグラ&プチ整形」以前の男女が老いとともに諦めた「性愛や恋愛による自己確認」を、我々は諦めずに追い求め続ける。むろん「いい年して恋だのセックスだの言ってるのは愚かしいことだ。自分にはバイアグラもプチ整形も必要ない。恬淡《てんたん》と老いていく境地を楽しむのである」という人はあろうが、そういう人の数はこれから減少の一途をたどり、多くの人は「性的自己確認」の欲望に勝てずに薬や整形を受け容れるのではないか、と思うのだ。
「社会」とか「世間」などと呼ばれる「他者の複合体」にリアリティがなくなりつつあるのが、現代の傾向であろう。インターネットで個人と個人がグローバルに繋がったおかげで、「顔のない他者たち」が急増し、それはある意味で「外部世界と繋がりながらも、その外部世界にリアリティがない」という現象を生んでいるのだ。だって、顔のない他者には、どうしたってリアリティがないもの。
世界が広がったように見えて、じつは個人の脳内世界は閉じている。
そうなると、「顔の見える他者」の承認がどうしても欲しくなり、結果、現代人は「手近な他者から愛されること」に自己確認の比重を大きく置くようになってきたのだ、と思うのですが、いかがでしょうか。少なくとも女王様は、自分自身に、その傾向を強く感じる。年齢的に発生した「女としての賞味期限切れ」への危機感も手伝って、女王様は昨今、これまでの人生でもっとも激しく「異性から愛されること」を希求しているのだ。
それは、やはり女王様の中で「世界とか他者といった存在がどんどんリアリティを失っていく」ことへの不安と恐怖心が増大してきたからではないかと思う。その孤立感、隔絶感に、最近の女王様は堪えられそうにないのである。
そもそもが依存症体質であるから、このまま「恋愛依存」や「セックス依存」に行ってしまったら怖いなぁ、という気持ちはある。しかし、それでも「恋愛したい」という欲求は、どうにも抑えがたい。それも、『冬のソナタ』みたいな純愛じゃ嫌だ。ちゃんと抱き締め合って肉体的な接触のリアリティを確認できないと意味がない。
なまじ顔だの胸だの整形したために、女王様は、恋愛ゲームへの再参入権を獲得したかのように勘違いしているのだろうか。