病院を変えようか、と、女王様は思った。
自分の身体のことである。納得のいく医師に診て欲しい。ろくろく調べもせずに「子宮摘出」を勧める医師は論外だが、他の治療法を指し示してくれるにしても、もう少し会話のできる医師がいい。
これまで病気らしい病気もせず医者要らずで過ごして来た女王様、唯一お世話になったのは美容形成外科のタカナシクリニックであるが、そこで学んだことがひとつある。
自分の身体にメスを入れるという決断には、その結果を最終的に引き受けるのは自分の身体である、という覚悟が必要なのだ。もしも手術が失敗した場合、たとえ執刀医に全面的に責任があったとしても、痛みや苦しみを受けるのは自分自身の身体である。裁判を起こせば賠償金を取れるかもしれないが、金では補えない苦しみを、ずっと引きずっていかねばならないのだ。だからこそ、患者は医師を真剣に選ぶべきであるし、納得の行くまで医師とコミュニケーションを取って、自分の身体に一番いい方法を選択する義務がある。
この場合の「義務」とは、自分の身体に対する「義務」である。我々は、もっと自分の身体に責任と自負を持たねばならないのだ。何事であろうとも、「あなた任せ」という姿勢は、従順で謙虚であるかのように見えて、じつは大変無責任なことなのである。
去年、知人が子宮癌で亡くなった。癌が発見された時には全身に転移していて手の施しようがなく、抗がん剤と痛み止めだけで進行を遅らせるしか方策がなかったという。が、当の本人はその事実を知らされておらず、「子宮を取らなくても大丈夫らしいよ」などと、きわめて明るく楽観的に、見舞い客たちに説明していたそうだ。だが、結局、彼女は亡くなってしまった。医師や家族が本当のことを彼女に知らせなかったことには、それなりの理由があるだろう。しかし、女王様は思った。私だったら、せめて自分の身体に起こっていることは正しく知りたい、そのうえで抗がん剤を打つかどうかも自分で選ばせて欲しい、と。私にはその権利があり、義務もあるはずだ、と。
子宮筋腫は、癌と違って、命に係わる病気ではない。だからといって簡単に考え、軽率にも「子宮取れって言われたから取りまーす」などと脳天気な宣言をしてしまった自分を、今、女王様は恥じている。「子宮を取ったら女じゃなくなるのではないか」という恐怖がネックになっているのではない。「子宮を取ったら、自分の身体にどんな影響があるか」をきちんと調べもせずに、安易に医師の勧めに乗ってしまおうとした、己の無責任さを猛省したのである。
確かに多くの医師は「子宮は、ただの臓器。卵巣を取らなければ、ホルモンバランスには影響がない」と言う。しかし、女王様がネットで調べてみたら、子宮を取ったことを後悔している女性は大勢いるのである。身体に影響がないわけではないのだ。ただ、「ま、それくらいはね」といった感じで、瑣末なこととして扱われているだけだ。
だが、それが瑣末なことかどうかは、身体の持ち主が決めることだと、女王様は思うのである。