腹の中に抱えた数個の肉塊をめぐって、日々、悶々としている今日この頃の女王様であるが、そうこうしているうちに、十日間ほどアメリカに行かなくてはならなくなった。NHK衛星放送の特番で、カレン・カーペンターの人生を辿る、という内容の仕事である。
カレン・カーペンターは、ご存知、カーペンターズの女性ヴォーカリストだ。素晴らしく綺麗な声で多くのヒット曲を歌い上げ、世界中の人々から愛されリスペクトされたけれど、一九八三年に拒食症で亡くなった。
当時、「拒食症」という病気は、ほとんど知られていなかった。それだけに、強い衝撃を受けたことを憶えている。「痩せたいという欲求が生存本能を凌駕《りようが》するような病気が、この世にはあるのだ」と驚き、何だか俄《にわ》かには信じられなかった。生存本能というものは、他のどんな欲望よりも強いはずではないか。
しかし、驚きながらも女王様は、そこに何か他人事ではないような不穏な心のざわめきを感じ取ったのである。そうでなければ、正直、カーペンターズのファンというわけでもなかった私が、あれほどの衝撃を受けるはずがない。
おそらくあの時、カレンが目に見えない指で、私の心に何かを書きつけたのだ。だが、私は、その書付けを失くしてしまった。家の中よりももっと乱雑に散らかっている女王様の脳内の奥深くに、それは紛れて埋もれたままである。そこに書かれていた言葉が何だったのかを知るために、今回、アメリカに行ってみようと思い立ったのだ。
カレン・カーペンターは、アメリカンドリームを絵に描いたような成功を収めて世界的スーパースターになりながら、最後まで自分に「OK」を出せなかった。ミュージシャンとしてどんなに成功しても、女として成功しなくては、自分は完璧と認めてもらえない、と、彼女は感じていたのだろう。ロサンジェルスの豪華マンションで贅沢なひとり暮らしを楽しみながらも、郊外の家で夫と子どもの世話をする白いエプロン姿の自分に憧れていた。そんな彼女を「いつまでも夢見る少女だった」と友人たちは言うが、それは周りが思うほど微笑ましい夢ではなく、彼女にとって強迫観念に近い悪夢だったのではないか。
そう。執着すればするほど、夢は悪夢に変わるのだ。彼女を追い詰めたのは、白いエプロン姿の「もうひとりのカレン」である。その女が、いつも囁《ささや》くのだ。
「あんたは、いつまでたっても不全者だ。いくらお金があっても才能に恵まれてても、女として母として愛され祝福され尊敬されない女は、欠陥品なのよ。あんたは成功者かもしれないけど、その舞台衣装を脱いだら、ただの冴えないモテない野暮ったい、太めの女じゃないの。女たちは皆、あんたを見て思ってるわ。ああ、あんな女にだけはなりたくない、って」
カレンの「悪夢の女」は、女王様の中にも住んでいる。独善的で高圧的で冷笑的な女。その女と戦うためにカレンはダイエットに、女王様は美容整形に走った。
カレンは死んだが、女王様は終わりなき悪夢をしぶとく生きている。あの時カレンが書き残したメッセージを見つけられれば、女王様の「さすらい」の旅もついに終わるのだろうか。