カレン・カーペンターの中に住んでいた「悪夢の女」は、白いエプロンを着た幸福な主婦だった。女王様の中に住んでいる「悪夢の女」は、どんな女なのだろう。
子宮筋腫が発覚した時、「これは子どもを産まなかった私への罰なのか?」などという思いも寄らない罪悪感が女王様の心をよぎった。今にして思えば、あれこそが女王様の「悪夢の女」の囁きだったのだ。
「ほら、ごらん。女は子を産んでこそ一人前なのよ。その義務を怠ったから、あんたはそんな病気に罹《かか》ったんだわ。好き勝手に生きて、出産も子育ても放棄した女には、子宮に醜い肉塊でも孕《はら》んでるのがお似合いよ!」
そんな女が自分の中にいることを、あの時、女王様は初めて知った。いや、薄々知ってはいたのだろうが、ここまではっきりとその声を聞いたのは初めてだったのだ。自分がとっくに捨て去ったと思っていた価値観が、予想だにしない罪悪感という形で、意識の表面に浮かび上がって来たのだ。と、同時に、今まで戦って来た敵の姿が初めて見えた、という気がした。
そうか。私は、世間と戦って来たのでも、神と戦って来たのでもない。自分の中の「悪夢の女」と戦っていたのだ。そのためのブランド物、そのためのホスト、そのための美容整形だったのか、と。
女王様の中の「悪夢の女」は、「女とは、心身ともに多大な犠牲を払って子どもを産み育てるからこそ、尊い生き物なのである」と考えている。だから、その役割を放棄した女王様に対して、常に批判的なのだ。
「あんたがいったい何をしたって言うの?」と、彼女はせせら笑う。「文章を書いてるって? それが何? そんなの、女にしか出来ない仕事ってわけじゃないでしょう? せっかく子どもを産める身体を神様が授けてくれたのに、それを無駄にして、自分の野望や自己顕示欲の実現だけのために生きて来て、あんたがいったい何を成し遂げたというの? 自分以外の命のために、犠牲を払ったことってある? 産みの苦しみも知らなければ、子に乳をやる充実感も知らない。あんたは不幸な女だわ」
ショウビズ界でこれ以上は望めないほどの大成功を収めたカレンですら、自分を肯定することができず、女としての欠落感や不全感に苦しめられていた。たかだか雑文を書いていい気になってる女王様はもちろん、世の中の多くの女たちが煩悶するのは当然である。
しかし一方で、幸福な結婚をして子を産み育てた女たちが自分の人生に充足しているかといえば、必ずしもそうではない。彼女たちは彼女たちで、自分が社会との接点を失って取り残されていく不安、己の野望や自己顕示欲が十全に満たされていない不満に苛《さいな》まれているのである。彼女たちにとっては、逆に「自立して成功した女」という幻想が「悪夢の女」として眼前に立ちはだかっている。
「勝ち犬」「負け犬」などと言っているけど、この世に蔓延しているのは「勝ちながら負けている犬」たちの自責地獄だ。「性的価値」と「社会的価値」と「生殖的価値」という三つの価値のプライオリティが同等であり、どれが欠落しても不全感を抱えてしまうシステム……それが、我々の中の「悪夢の女」を産んでいる。