さて。四十六歳にもなって男にフラレるというのは、傍から見ても痛々しかろうが、本人も相当にトホホな気分である。若い時分なら「次があるよ! 元気出して!」といった慰めの言葉にも素直に頷けるが、残念ながらババアには「明日」がない。次のチャンスなんてないかもしれないのだ。
一度は降りたつもりだった「恋愛」の土俵に、女王様が再び返り咲きしたがっている動機は、「女の賞味期限切れ」に対する恐怖である。まだ賞味期限は残っている、現役の女なのだ、という自己確認をしたいのだ。
思えば、美容整形によって外見を若返らせた瞬間から、「まだまだイケる」ということを証明したくて居ても立ってもいられなくなった。美容整形は、「女であることへの執着」を蘇らせたのだ。あのまま自然に任せて老いていたら、こんなに身を焦がすような煩悩に苛まれることもなかったであろう。神の摂理に逆らって無理やり夢を実現しようとした人間は、自らの夢に復讐される、ということなのか。まるで、イソップ寓話のようなオチだ。面白くない。こんなつまらないオチに着地するために、女王様は美容整形を受けたのだろうか。
思わず暗澹《あんたん》たる気分になってしまう今日この頃なのだが、しかし、女王様にはまだ「引き返す」という選択肢が残されているのだ。プチ整形の面白いところは、「三カ月で薬の効果が切れてしまう」という点である。顔面に注射を打ってシワだのタルミだのを消し去っても、三カ月も経つと徐々に衰えが戻ってくる。したがって、常に若さを保つには三カ月おきに注射を打たねばならず、その都度、金も手間もかかるワケで、ここがネックとなってプチ整形に踏み出せない人もいるのである。
が、それは必ずしも欠点ではなく、逆に言えば「いつでも元に戻れる」ということでもあるのだから、たとえば女王様のように「若返ったばかりに煩悩に身を焼く結果となって、かえって苦しみが増してしまった」と感じたなら、半年か一年くらい注射を打たずに放置すれば元の年相応の老顔に戻れるのだ。
すなわち、「諦めてラクになるか」「執着して苦しみ続けるか」という選択を、三カ月おきに自分で自分に問いかけ、答を出さねばならないのだ。図らずも、ということであろうが、これって大変うまいシステムだと、思わずにはいられない。
「選択の自由」には、常に「自己責任」というものが伴うのであって、三カ月おきに自覚的に「欲望の充足と執着の苦しみ」を選んだ者は、自ら選択した苦しみを腹をば括って引き受けねばならないのである。選択の自由と自己責任の覚悟という問題を、定期的に突きつけられる機会なんて、人生においてそうそうあるものではない。プチ整形のこういう側面が、女王様は気に入っている。
「鏡よ、鏡」と、おとぎ話の業の深いお后様のように、女王様は、三カ月に一度、自分に問いかけるのだ。
「人工的な若さと引き換えに、自らの欲望の重荷を、これからも背負っていく覚悟はあって?」
鏡の中の女王様は、にやりと笑って答える。
「もちろんよ。それが私の選んだ生き方だから」