自分が老い萎《しな》びていく恐怖に耐えきれず、シワ取りのプチ整形から始まってメスを使ったフェイスリフト手術、挙句の果てには豊胸手術まで、表面上の「老化」には徹底的に抵抗してきた女王様であるが、ワックスで磨き上げた蜜柑がそのピカピカの皮の下で静かに萎び腐っていくように、皮膚の下の臓器はひたひたと老いに侵され、「死」への準備を無言で推し進めているのであった。
たとえ今回、癌細胞が発見されなかったとしても、自分の身体が死に向かってカウントダウンし続けているという事実は変わらない。女王様は、そのことを深く肝に銘じようと思った。
残り時間は、思っているよりもずっと少ないかもしれないのだ、と。
例のごとく徹底的に「悪あがき」をする、という選択肢もある。美容整形の先端技術に頼って「老化」を押しとどめようとしたように、「死」へのカウントダウンに必死の抵抗を試みようか? それが女王様らしいやり方ではないのか?
否、と、女王様の心が答えた。私の欲望は常に「生きている時間の使い方」なのだ。買い物もホストも美容整形も、「いつまで生きるか」ではなく「どう生きるか」という問題であった。自分に与えられた時間を引き延ばすことよりも、どのように費やすかに執念を燃やす女なのだ。燃え尽きて死ぬなら本望だ。苦しみたくはないけれど、長生きする気はもとよりない。
と、このように、自分の心がきっぱりと答えたので、女王様もその決定に従うことにした。
もしも癌だとしても、放射線治療と抗がん剤治療は受けない。「生きること」への執着と「見た目の美しさ」への執着を秤《はかり》にかけると、女王様の秤は後者にぐぐっと傾くのだ。くだらない、本末転倒だ、という批判は百も承知だが、自分の秤がそう言うのだから仕方ない。
以前、女王様のプチ整形に立ち会った知人が「こんなに痛い想いをしてまで美しくなりたいなんて、あなたはバカです」と言った。そのとおり、女王様はバカである。「苦痛」より「生命」より「ナルシシズム」と「ボディイメージ」を優先する、抽象思考の怪物である。盟友のくらたま(倉田真由美)は女王様を評して「実よりも花を取る女」と述べたが、然り、女王様は「現実」よりも「幻想」にプライオリティを置く女、人類の「前頭葉文化の成れの果て」を体現する徒花《あだばな》の女王なのだ。
民よ、見よ。この女は、醜くなるくらいなら死ぬ、と言う。太るくらいなら死ぬ、と決めたカレン・カーペンターのように。その肉体はもはや現実の肉体ではなく、脳内に映し出された虚像、ナルシシズムが作り上げた幻の鏡像だ。女王様の「現実」はあくまで脳内の「仮想現実」、その「肉体」もまた脳内の「仮想肉体」、女王様が「自分」と考える存在も脳内のセルフイメージに過ぎないのだ。
女王様がこれまでに欲しがったものは何だったか。
「ブランド物」という幻想のシンボル、「愛」という幻想の甘露、「美貌」という幻想の果実……そう、この女は、幻想の中でしか生きて来なかったのである。ならば民よ、せめて、この女を幻想のために死なせてやってくれないか。