先週書いたように、自分の「生き方」と「死に方」についてのスタンスがはっきりしたので、なんだかもう晴れ晴れとした気分になっている女王様である。
思えば、面白い人生だったなぁ(←過去形かよ)。一瞬一瞬は苦しい時期もあったけど、こんなに刺激的で楽しい人生、まさに女王様向きであったと思うよ。平穏無事な安定型人生だったら、きっと途中で退屈しちゃったと思うの。ま、最初から、そんな生き方選ばないんだろうけど。
生きるのがすごく苦しかった頃や、精神的にかなり疲弊してしまった時期に、「死んだほうが、なんぼかラクじゃなかろうか」などと思ったりもしたものだが、あの当時の私に会って「よくぞ死ななかったな、おまえは正しい!」と褒めてやりたい気分である。だってね、その後の人生の楽しさを思い起こせば、心の底から「あの時に死ななくて正解だったよ」と言えるのだから。
自殺という選択肢は、もはや女王様の今後の人生にはあり得ないと思う。少なくとも今は、そんな気、全然ない。わざわざそんなことしなくたって、残り時間は大してないのかもしれないのだ。それを考えると、「やれるだけ、やっとけ」という気分になるではないか。とりあえず、今日は生きてる。だから、今日はちゃんとやれることをやっておこう、と。明日のことはわかんないんだからさ。未練なんか残したくないじゃん。それにしても、こんな気分で生きてたら、ますます貯金はしなくなるなぁ。
先日、友人と「自殺」について話していた時、彼女が「生きるのに退屈しちゃって死ぬことって、きっとあるよね。私は、自分にそういう瞬間が来るような気がする」と言った。女王様も、そういうことってあると思う。「生きるのに退屈して」という言い方には語弊があるが、「生きることに意味を見失って」という表現なら、ご理解いただけるであろう。人間は「意味」を求めてしまう生き物だ。抽象概念の化け物ならではのモチベーションだが、そういう脳みそになってしまったのだから、もう他の動物のような思考回路には引き返せない。「自殺」の動機も十人十色であろうが、「生きることに意味を見失って」という理由もまた、じゅうぶんに納得できるのである。
で、女王様は「生きることの意味は自分で作れ」がモットーであるから、「意味を見失って」しまう以前に「意味を考える」ことに熱中してしまい、結果、意味を考えること自体が生きる動機となってしまって、現在に到ってしまった、と、このような次第なのだった。
なんだか『雨月物語』の「青頭巾」みたいだ。答の出ない問題を与えられ、それを考えているうちに生をまっとうしてしまう、という。あの話は確か、煩悩を捨てきれずに鬼と化した住職が高僧に禅問答の宿題を与えられ、それをずっと考え続けている間に煩悩が消えて本人も白骨化する、といった物語であった。小学生の頃に読んだきりなので記憶が曖昧なのだが、女王様の頭の中ではそういう話になっている。まぁ「考える」こと自体が煩悩じゃん、という気もするのだが、そういう救いもありでしょう。白骨化するまで考えていられるなんて幸福だよなぁ。