民よ、二〇〇五年である。
「めでたさも 中くらいなり おらが春」というのは、ご存知、一茶の句であるが、女王様の心境は「めでたさなんぞ どこにもねぇわよ おらが春」(字あまり)だ。
思えば去年の元旦は、女王様の舌禍で深夜にホストが怒鳴り込み、警察を呼ぶ騒ぎで始まった。その年の締め括りである年末は、港区役所と麻布税務署に差し押さえ通告をされる騒ぎで幕を閉じた。
自業自得で始まり、自業自得で終わった二〇〇四年……ああ、ちくしょう、振り返りたくもねぇわ。そういえば、夏には、ようやく出来た彼氏にこっぴどくフラレるしな。踏んだり蹴ったりとは、このことよ。でも、それも、今思い返せば、自業自得なのかも……そうか、去年は女王様にとって「自業自得強化キャンペーン年」であったのか。なんか、納得。
四十は不惑の年と言うけれど、女王様は四十代半ばにして、いまだ惑いっぱなしだ。しかし、こうやって「人生のツケ」を一気に清算してですね、また新たな年をゼロからスタートすれば、五十歳になるまでには「不惑」状態に到達できるかもしれない。そうよ、女王様、今年で四十七歳になるけど、あと三年で「自己模索」の時代は終わり、素晴らしき「自己確立」の時代が訪れるかも……って、それまで生きてる保証はないがな。
ところが、である。女王様は本当に「自己確立」なんか望んでいるのかというと、じつはそうでもないのだ。確立した途端に、人生は停滞してしまうような気がする。澱《よど》むのは嫌だ。恐ろしい。もしかすると女王様は、一生、不惑を迎えたくないのかもしれない。
いくつになっても、ああ世界は大きい、まだまだ知らないことがいっぱいあるのだ、と、感銘を受け続けていたい。新しい価値観、新しい世界観を発見するたびに、見えない扉がパァッと開かれたような気がしてゾクゾクする……ここ最近の女王様がハマっているのは、その快感だ。仕事自体はアウトプット業務であるから、インプット回路を開いておかないと、たちまち閉塞してしまうのである。
今年は新しい人間にいっぱい会って、新しい情報をいっぱい仕入れ、新しい世界の空気をいっぱい取り込みたい。少しでも視野を広げなきゃ、何のために生まれてきたのかわからないよ。
赤ん坊の頃の女王様の脳内世界は、揺り籠の中だけの広さしかなかった。そこに生存する他者も、母親と父親のふたりくらいしかいなかった。長ずるにつれ、世界は徐々に広がり、他者の数も増えていき、脳内世界は豊かに広がっていった。世界の広さに不安を感じたり迷子になったりもしたものだが(ま、今でも迷子だけど)、自分のテリトリーが広がっていく興奮と快感は、不安や恐怖を凌駕して余りあるものであった。おそらく女王様にとって「生きる実感」とは、その快感そのものだったのだと思う。
生きている間に、すべてを知ることはできない。しかし、知ってるものが多ければ、その分、知識を土台としたリアルな想像力を働かせることができるはずだ。体験できなかったことまでも理解できるほどの経験値と想像力が欲しい。それが「人間力」ではないかと女王様は思うのであります。