先日、久しぶりに仕事部屋を片づけてたら、地層のように積み重なったモノの中から、一本の折り畳み傘を発掘した。
「ありゃま、この傘、こんな所に埋もれてたのか」
私は苦笑しながら、それを手に取り、思わず遠い目になってしまったワケである。
そう。それは、ブランド狂いだった(今でもそうだけど、当時はもっと凄まじかった)私の、愚かしさと虚栄の記念碑的存在……二年ほど前に購入したシャネルの折り畳み傘なのだ。そして、この傘のどこが「愚かしさ」の象徴なのかというと、なんとこいつは十数万円もするクセに、「雨の日にさせない」傘なのである!
私がこの傘を購入したのは、忘れもしない、帝国ホテル内のシャネル・ブティックだ。ショルダーストラップ付きの黒い革ケースは、一見して傘のケースとはわからないのだが、店員がシャネル・マークの留め金をカチリと開けると、あら素敵。中から黒いシンプルな折り畳み傘が現れ、もともとブランド物に対して無批判な私の目には、「んま、オシャレ。さすがシャネルざんす!」ってな感じに映ったのであった。
ところが、にこやかに傘を広げてみせた店員が次に言った台詞を聞いて、私は耳を疑ったね。
「お客様、この傘は、ドシャ降りの時にはお使いにならないでくださいね」
「えっ……傘なのに、雨の日にさしちゃいけないんですかっ!?」
「多少の雨なら大丈夫ですが、普通の傘のようなしっかりした防水加工は施されておりませんので、ドシャ降りの時には雨漏りする恐れがあるのです」
店員はすました顔で説明したが、「雨漏りする傘」なんて初めて聞いたぞ、おい! これが百円くらいの安物ならいざ知らず、十数万円もするクセに雨漏りするとは……世の中、信じられないモノが信じられない値段で売られてるもんですねぇ。いくらブランド物に無批判な私でも、これにはさすがに呆れちゃったよ。
「それって、ちょっと変じゃないですか? 傘なのに雨漏りするなんて」
私の素朴なツッコミに、店員はフフッと笑って、
「でも、フランス製ですから。ご存じのように、あちらでは、日本ほど雨が降らないのです」
そーか? そーなのか?
以前、私がフランスに行った時には、滞在中ずっと雨降りだった気がするんですけど?
いや、百歩譲って、フランスでは雨が降らないことにしても、だ。ここは、日本なのである。日本に住んでる日本人にとって、「ドシャ降りの時には雨漏りする傘」なんて代物に、果たして商品価値はあるのだろーか?
もちろん、ある。だって、天下のシャネルだもん。たとえ雨漏りしようが骨が折れようが、それどころか中身の傘を失くして普通の折り畳み傘で代用してようが、そのシャネル・マークのついた革ケースを肩からブラ提げてるだけで、「私、傘までシャネルですのよ。オーホッホ!」と高笑いして歩く女王様の心境に、人はなれるのだ。
「私がブランド品を愛用するのは、それがブランド品だからではなく、何十年も使えるしっかりした商品だから」とか気取って言う人がいるけど、それは違うね。私たちがブランド品を購入するのは、それがブランド品だからだよ。ブスでもバカでも育ちが悪くても、とりあえずブランド品持ってりゃ、エラくなった気分が味わえるからだよね。
私にとって資本主義とは「金持ちという栄光のゴールに向かって、しのぎを削り合うゲーム」なのだ。そしてブランド品は、そのゲームの景品なんですよ。
そんなワケで、自他ともに認める「ブランド・バカ一代」である私は、その傘を購入し、得意になって持ち歩き(ただし小降りの日にだけ)、そしてすっかり飽きて仕事部屋に埋もれさせていたのであった。結局、ブランド品としての後光も、一年もたちゃ薄れてくるのだ。しかも、傘としては役立たずだし。
ああ……夏草や兵《つわもの》どもがゆめの跡。あの頃、君はバカだった。
シャネルの傘を握りしめる私の胸に、在りし日の自分の愚かな姿が浮かび上がっては消えるのであった……なんちゃって。それでも私はシャネルを買い続けるんですけどね。