以前、新宿二丁目の飲み屋にフラリと立ち寄った時のこと。
薄暗い店の中、「あら、いらっしゃーい」と振り向いたママ(男)の鼻の頭にベッタリと白い膏薬のようなモノが貼りついているのを見て、戸口でギョッと凍りついてしまった。
「どうしたのよ、それ?」
怪我でもしたのかと心配して尋ねると、
「あらぁ、知らないの? これ、鼻の頭の毛穴の脂を取るシートよ。今、流行ってるんだから」
ママはすました顔で、鼻の頭からベリリと白い紙を剥《は》がすと、暗い照明の下でそれを仔細に点検し、「ほーら、毛穴の脂がこんなに取れた」と、得意そうに私に見せてくれたのであった。
どーでもいいけど、営業中に鼻の脂なんか取ってんじゃねーよ。
そんなワケで、一、二年ほど前に、この「鼻の脂を取るシート」が大流行したのを、読者の皆さんもご存じでしょう。当時、日本じゅうの若者たちが、鼻の頭の脂を躍起になって取り除いていたのだ。
ところが、しばらくすると、「あれ、やりすぎると鼻の毛穴が開いちゃって、逆効果らしいよ」という噂が囁かれ始め、脂取りシートの人気はすっかり下落してしまった。そしていつの間にか、人々は鼻の脂のことなど忘れてしまったかのように見えたのである。あんなに熱心に、まるで親の仇みたいに鼻の脂と戦ってたクセに……。
こうして月日は流れ、戦いの記憶も完全に風化したかに見えた、つい先日のこと。通りかかった薬局の店先で、私は、鼻の脂と戦う新たな武器が開発されていたのを知ったのである。
しかも、今度のは安っぽい粘着シートなどではない。専用の毛穴クレンザーと、丸いゴムの頭のついた吸い出し器のセットなのだ。
まずは、気になる小鼻(じつは鼻だけでなく、顔全体に使用可)にゼリー状のクレンザーを塗り、吸い出し器の吸引部を押し当てる。そして丸いゴムの部分をキュッと握ってポンと離せば、毛穴の脂や汚れが空気圧によって吸い出される、という仕組み。商品名は「フィエ 毛穴キュッポン」(安易なネーミングだ。わかりやすくて、いいけど)である。
そーか……毛穴の脂との戦いは、終わったワケではなかったのね。まるで昔の仇敵が亡霊のように目の前に現れたような気分で私はしばし感慨にふけり、それから、すっかり忘れていた自分の鼻の脂の存在が急激に気になり始めて、思わずその新兵器を手に取ったのであった。
もちろんその夜、さっそくやってみましたよ、毛穴キュッポン。その名のとおり、キュッポン、キュッポンと皮膚を吸い上げるその使い心地は、なかなか楽しかった。
でも、毛穴の脂が取れたかどうかは、よくわからない。目に見えるワケじゃないからね。以前の脂取りシートは、取れた脂の塊が粘着シートにベットリと付着し、その効果が一目瞭然であったところに人気が集まったのだ。それこそ、例のママのように、「ほーら、こんなに取れた」と、赤の他人に見せたくなるほどにね。
むしろ、この商品の場合、説明書に同時にうたわれていたマッサージ効果のほうが、今の時代に合った訴求ポイントだと思う。実際の効果は知らないけど、たるんだ皮膚がキュッと吸い上げられる快感は、「なんか、効きそう」ってな手応えを感じさせるのだ。
現在、人々の関心は、毛穴掃除より小顔対策にある。「毛穴キュッポン」より「ゼイ肉キュッポン」とか「たるみキュッポン」なんて名前のほうが、女心を掴みそうな気がするなあ。ま、大きなお世話だけどさ。
関係ないけど、小鼻をキュッポンしながら、私がふと思い出したのは、中学の教科書に載ってた芥川竜之介の『鼻』という短編であった。鼻がでかいのを気に病んでる坊さんの話。詳しくは忘れたけど、なんか鼻を蒸したり足で踏ませたりした挙げ句、鼻の毛穴から飛び出した脂の塊をブツブツと毛抜きで引き抜くシーンがあったと思う。
芥川はそれをバカバカしいと思ってたかもしれないけど、私たちはまさに、それを日常的に実践してるワケですな。ははは……キュッポン!