食べ物に季節感が失くなった、という嘆きの声をよく聞くが、それでもまだ、季節限定の味覚というのはちゃんと存在するワケで、今なら牡蠣《かき》とか河豚《ふぐ》とか上海蟹なんてぇのが、その筆頭であろう。
それでなくても「特別限定品」などといった恩着せがましい肩書きに弱いこの私が、このテの季節限定食品に心を動かされないはずはない。特に上海蟹は大好物なので、秋になるのが待ちきれないほどである。
そして、もうひとつ。十一月末から十二月にかけて、女王様がものすごく楽しみにしている食べ物……それは、いったい何でしょう?
答えは、牛肉である。
なんだ、牛肉かよ、そんなモノいつでも食えるじゃねーか、と思うかもしれないが、もちろんフツーの牛肉ではないぞ。この時期にしか食べられない、特別な牛なのだ。どこが特別なのかとゆーと……。
心して聞け、民草《たみくさ》よ。畏れ多くも、品評会で御優勝あそばした牛の女王様のお肉なのであるぞ。頭が高ぁ———い! ハハァッ(←土下座)。
以前、私はこのコラムで、日本で一番エバってる食材は松阪牛とマグロの大トロだ、と書いたコトがある。河豚とかもけっこうエバってる気がするけど、私の個人的なランキングでは、この二者が燦然《さんぜん》と輝く食べ物の王者なのだ。
その王者のなかから、さらに選ばれたチャンピオンなのであるから、そのエラさはタダゴトではない。まさに女王様の食卓にふさわしい逸品ではないか。ホホホホッ、わらわが食べずに誰が食べるのじゃ。
とゆーワケで、鼻息荒く行ってまいりました、銀座は並木通りの「岡半本店」。じつは私、ここの網焼きのファンなのである。普段からおいしいというのに、これが松阪牛の女王様の肉ともなれば、いったいどうなってしまうのだ。いや、べつに、どーもならないが。
お座敷で肉を待つ間に、まずは今年の女王様の名前を尋ねる。
「今年は、かずひめという名で四歳の、もちろん処女牛でございます」
店の人が、厳《おごそ》かに教えてくれる。そう、牛の女王様は、必ず三〜四歳の処女でなくてはならないのだ。
牛の年齢についてはよく知らないのだが、四歳って、人間でいえばどれくらいなのだろうか。十五〜十八歳くらいの、ピチピチギャルか。しかも、処女。いいねぇ、うまそうだなぁ……などと、思わず援助交際好きのオヤジみたいに舌なめずりする私である。
かずひめという名前も、なかなかよろしい。血筋も育ちも庶民牛とは違う、深窓の令嬢牛に違いない。去年は「ゆきちゃん」とかいう妙に気さくな名前で、食べてる間じゅう、同名の友人の顔がチラついてしまった。だが、今年は「かずひめ」。そんな高貴な名前の友人はいないから(いたら怖いよな)、安心して食えるぜ。
さて、そのかずひめ様のお味はというと……んもう、柔らかくておいしくて、もったいのうございましたよ。五人で十七万円というお値段も、もったいのうございましたがね。
まぁ、よくよく考えると、この店が普段に出す肉の味と、そう格段に違うってほどでもない気はする。が、そこはほれ、気は心と申しますか、「ああ、これが女王様のお肉……なんと気高い究極の味!」という先入観とともに味わうことで、人は至福の瞬間を得られるワケである。
ブランド物と同じだよ。「他の服とどこが違うの?」などと言ってしまえばミもフタもない。そのブランドを積極的にありがたがろうという姿勢がなけりゃ、それを手にした時の陶酔感も快感も味わえないのだ。
人はイメージによって幸福にも不幸にもなれる動物である、と、私は思う。イメージに踊らされるのは愚かだという意見もあろうが、それも人間の特権なのだと解釈すれば、短い人生、どうせなら幸福な錯覚を思う存分、味わいたいものではないか。
と、自己弁護しつつ、十二月中に今度は新橋の「|※[#「鹿」が3つ]皮《あらがわ》」で、同じく品評会で優勝した女王様のお肉を、ステーキで味わう予定の私である。
今月の我が家の家計は、エンゲル係数が異様に高いぞぉ!