そもそも宗教心というモノを持ち合わせない私であるから、家の中には当然、神棚も仏壇もない。が、こんな私が最近、我が家の守り神として仏像を購入したのである。
もちろん、フツーの仏像ではない。仏像として売られていたモノでもない。制作者の意図はわからないが、ともすれば仏像のパロディともとれる作品だ。
それは、猫の姿をした阿弥陀如来像なのであった。作者は、横尾忠則氏。この名前を聞いて、「なんだ、それ、仏像じゃなくてアートじゃん」と思う人もいるだろうが、その一方で、「いやぁ、タダノリ(すいません、巨匠を呼び捨てに……)なら、もしかして宗教かもしれん」という意見もあろう。
そう。横尾忠則氏の場合、本人がアートのつもりで作ってるのか、宗教心から作ってるのか、余人には計り知れないモノがある。で、私は勝手に宗教モノと判断し、ありがたく購入させていただいたワケである。さすがに拝んだりはしないけどさ。
初めてこの仏像を見たのは、確か半年ほど前……新宿島屋で横尾忠則展が開催され、それを見た帰りがけの売店であった。
ところでこの個展で印象的だったのは、私の隣で作品鑑賞していたオバチャンたちが、「この人、死んだの、何年前だっけねぇ」と、真顔で囁き交わしていたコトである。
オバチャン、横尾忠則は生きてるぞ! 死んだのは池田満寿夫だっつーの! でも、なんか、わかる気はするよな。
ま、それはさておき。例の仏像を見た途端、私は「あっ、欲しい!」と思った。なぜかというと、そいつは猫のクセに、全然かわいくなかったからだ。
私はとても猫が好きで、したがって猫グッズというモノにもついつい目が行くのであるが、ハッキリ言って巷に溢れる猫グッズってクソばかりだよな。妙に媚び媚びしちゃって、気持ちわりーんだよ。あと、擬人化してるヤツもイヤ。猫に限らずテディベアなんかにも言えるコトだが、動物に服着せんなよ。かわいいつもりかよ。なあ、パディントン?
おい待て、擬人化した猫が嫌いなら阿弥陀如来化した猫だって同じじゃないか、と言われそうなのだが(もっともな意見だ)、この猫は別格だ。なにしろ、オッパイが四つあるんだよ。ケダモノだよな。阿弥陀如来のポーズと、四つのオッパイが、ものすごく奇妙な取り合わせだ。タダノリには悪いが、不気味だぞ。
しかも、顔がまた怖い。阿弥陀如来らしく、静謐《せいひつ》な半眼に穏やかな微笑を浮かべてるものの、それが猫だと、いきなり狡猾な薄笑いに見えるから不思議ではないか。寝たフリして密かにネズミを狙ってる顔だな、こいつは。タダモノじゃないね。
そんな不気味さと怖さに恐れ入って、ただちにその仏像を購入しようとした私だが、一緒にいた夫に止められた。
「あんた、これ、十万円よ。何考えてんの?」
関係ないけど、夫よ。あんた、外国人だから許されてるようなもんだけど、オネエ言葉だぞ!
島屋の売り場で、松の廊下の浅野内匠頭よろしく、夫から羽交《はが》い締めにされた私であった。
女王様、ご乱心でござる!
だが、どうやら私は、ホントにご乱心しちゃったらしい。その時は諦めたものの、再び島屋でそいつに会った日にゃ……矢も楯もたまらず、財布からカードを出すと、
「それ、くださいっ!」
店員に掴みかかるようにして、購入してしまったのである。
タダノリ、恐るべし。私に、何か魔法をかけたな?
で、現在。せっかく十万円も出して買ったんだからと、私はその猫を我が家のご本尊と決め、丁重に飾っている次第である。
「それってアート? 宗教?」などと人に聞かれるけど、どっちでもいいじゃん。そもそもアートと宗教の間に、どれほどの違いがあるというのだ?
ところで、私が仏像を買うのにあれほど反対した夫であるが、どうやら仏像に妙な影響を受けたようである。なんと彼は突然、戦国武士の鎧兜《よろいかぶと》(成金の家に飾ってあるヤツ)が欲しいと言い出したのだ。しかも、それを着てみたいんだと。信じられるか?
外国人ってやつぁ……と呆れつつ、似た者同士の夫婦であった。