世の中の現象にうとい私でも、これだけTVや雑誌で「不景気だ、ああ、不景気だぁ」と念仏のように唱えられりゃ、さすがに「そーか、不景気なんだなぁ」と、ジワジワと実感してきた今日この頃である。なんちゃって、例によって洗脳されてるだけなのかもしれないが。
そーいえば昨夜も、財布を開けたら二千円しか入ってなくて愕然としちゃったんだが、よく考えるとそれは昨今の不景気とはまったく関係なく、昔っからなのであった。なにしろ女王様、いつも現金持ってませんから。
さて、私がこんなに貧乏なのは、皆様もご存じのとおり、すべて私の飽くなき物欲が引き起こす浪費癖のせいなのだ。我が家は、この物欲の悪魔にそそのかされて私が衝動買いしてしまったモノどもがうずたかく堆積した結果、ちょっとした『中村うさぎ物欲博物館』みたいになってるワケだが、そのなかでもっとも古い歴史を誇るのが一体の古色蒼然たるアンティーク人形である。
それはねぇ、今から二十五年ほど前、私が十五、六歳(たぶん)の頃に親にねだって買ってもらったアンティーク風のビスクドールなんだよ。作者は、四谷シモン。値段は忘れたが、人形にしてはかなり非常識な価格だったように記憶している。
その人形がいまだに私の家にあると言うと、「さぞかし大切にしてたんでしょうね」なんて思われるかもしれないが、とんでもない。作者の四谷氏には申し訳ないが、すっかり忘れ去られてキッチン(我が家のキッチンは物置き状態なのだ)の隅で埃をかぶっていたのである。
ところが、この人形を気の毒に思ったのか、ある日、ダスキンのお掃除サービスの人が発掘してワゴンの上にきちんと座らせておいてくれたのだ。ま、それはありがたいんですけどね、なぜか、後ろ向きに座らせちゃったんだよなぁ。つまり、キッチンに入ると、こちらに背を向けた人形が、じーっと座ってるワケだよ。
ちょっと想像していただきたい。ドアを開けると、キッチンの暗がりの中に、古びて埃をかぶった少女の人形の後ろ姿が浮かび上がる。亡霊のように色あせたドレス、もつれた長い髪。今にも、ギギギッと首を鳴らして振り向きそうだ。長い間、忘れ去られて、さぞかし恨んでるに違いない。振り向いたその顔はきっと、恨みと憎しみに激しく歪んで……。
ひぇっ、怖いっ!!!
じつは私は、ものすごい怖がりなのだ。この年になっても、遊園地のお化け屋敷が怖くて入れない。なのに、自宅のキッチンが、ある日突然、お化け屋敷になってるとは……いったい、どんな運命のイタズラだっ!?
マジにビビっちゃった私は、しばらくキッチンに入れなかった。人形をこちらに向けて座らせてしまえば、こんなに脅えるコトもない。でも、さわれないんだよ。こちらに向けた時に、その顔をついつい見ちゃうのが怖いんだよ。だって、だって、もしその顔が変わってたら……!
しかも、その話を聞いた知人が、こんなコトを言うんだよ。
「ああ、人形って、顔変わるらしいですねぇ。買われていった家で、どんな扱われ方をしたか、年月がたつほど顔に出てくるらしいですよ……」
やめてぇっ! なんで、そんな怖いコト言うのよっ!? あんた、私を殺す気かぁ——!?
結局、私は恥をしのんで夫に懇願し(チッ、弱み見せちまったぜ)、その人形を明るいリビングに運んできれいに顔を拭き、こちら向きに座らせてもらったのであった。ああ、やれやれ。とりあえず、これからは大手を振ってキッチンに入れるぞ、と。
それにしても、人形の後ろ姿の凄まじさは、そこらへんのホラー映画なんか比較にならない怖さだったね。振り向かないから、よけいに恐怖がつのるんだよ。振り向いて欲しくないクセに、なぜか、今か今かとその一瞬を待ち構えてる……人間ってバカですね。いや、バカなのは私だけか、もしかして?
とにかくこの一件は、私の物欲の犠牲となって買われて捨てられたモノどもの怨念が、人形の姿を借りて私に復讐したのだと、つくづく思う次第である。みんな、私が悪いのさ。諸君、モノは大切にしよう……って、中村うさぎに言われたくねーよな、世間の人も。
*四谷シモンのファンの方から、「もしいらないのなら、その人形を譲って欲しい」というお手紙をいただいた。そこで女王様は急に、「これ、ホントに四谷シモンの人形だっけ。もし記憶違いだったら、申し訳ないぞ」と不安になり、現在、人形の専門家に鑑定をお願いしている次第である。いいかげんな女で、すみません。鑑定の結果が朗報であれば、お返事いたします。待っててね。
文庫版追伸:朗報ではありませんでした。なんと、ニセモノ。ガッチョ———ン!!!