今のマンションに引っ越してきて、今年で五年目。その五年間というもの、ウチの玄関でドデーンと場所を塞ぎ続けている邪魔者がいる。
それは、自転車……女王様には、およそ似つかわしくない乗り物である。私くらいゴージャスでラグジュアリーな女なら、白馬の四頭立て馬車などをさりげなく玄関に置いておきたいものなのだが、しかし、なぜか自転車。しかも、バリバリにアウトドア系のマウンテンバイク。
なぜ、このようなモノが家にあるのか、我ながら不思議である。現に、買ってから六年くらいになるが、一度しか乗ったコトがない。てゆーか、女王様、一度で懲りちゃったのである。
その自転車を買った当時、女王様は荻窪に住んでいた。駅からちょっと遠かったし、行きつけの喫茶店のマスターが自転車好きだったコトもあって、ついついその気になって買ってしまったのであった。
思えば、買った当初から、一抹の不安はあったのだ。なんたって、その自転車にまたがると、女王様の足は地面につかないんである。なにしろチビなんでね。
「あの……足、つかないんですけどぉ……」
恐る恐る店員に訴えると、
「ママチャリじゃないんだからね。それくらいで、ちょうどいいんだよ」
「で、でも……ブレーキかけた時、足がつかないと、そのまま倒れちゃうんじゃ……」
「ブレーキかけたら、サドルから前に滑り降りて、両足つくの。大丈夫、すぐに慣れるって」
そ、そーなのか! それが、本格的な自転車の乗り方だったのか! 今までの私は、シロートだったんだわっ(今でもシロートだよ)!
ママチャリしか乗ったコトのなかった女王様は、ものすごく感心し、なんだかとってもカッコいい乗り物に出会ってしまったような気がしたのであった。
さっそうとマウンテンバイクを乗りこなす私……ああ、なんてカッコいいの! きっと、そよ風の妖精みたいだわ! 今にして思うと、「何が妖精だぁ! 三十過ぎて、タワケた夢見てんじゃねーよ、中村うさぎ!」と、みずからツッコミたくなるのだが、ご存じのとおり、買い物する時の女王様は、必ずタワケているのである。私が夢を見だしたら、誰にも止められねーよ。
そんなワケで、すっかり妖精になったつもりでいた私は、その時、完璧に忘れていた。自分が、中学生になるまで自転車に乗れなかった、超運痴女であるという重大な事実を……!
翌朝、爽やかな朝の光の中で、さっそく新品の自転車にまたがって風のように走り出した女王様であるが、十メートルもいかないうちに早くもグラつき、両足をつこうとサドルから滑り降りた拍子に、
ドガッ……!!!
こ、股間を……いや、デリケートなケツの穴周辺部分を、思いっきりサドルの角にぶつけ、ウウーンと呻いてそのまましゃがみ込んでしまったのであった。
いやぁ、こんな爽やかな早朝、いきなり自転車のサドルにケツの穴を掘られるとは思わなかったぜ。だが、その痛みのおかげで、女王様は、いっぺんに夢から醒めたのである。
何が妖精よ! 何がマウンテンバイクよ! あたしってば、またフラフラと、用もないモノ買っちゃって……あああ、バカバカ、うさぎのバカ! ちっくしょー、もう二度と乗るもんか、こんなモノ!
こうした事情で、それ以来、女王様は一度もこの自転車に乗ってない。おかげで新品同様にピカピカ、タイヤなんか全然減ってないのだが、空気が抜けてペチャンコだ。
現在、この自転車は、私のコート掛けと化している。外出から戻ってくるたびに、脱いだコート類をこの自転車の上に積み上げていき、しまいには服の下にある物体が自転車であるコトすらわからなくなる。そして時折、積み重なった衣類がズザザッと雪崩れ落ちて玄関に散乱し、その時に久し振りに「ああ……そーいえば、これ、自転車だったよな」と思い出す次第である。
自転車として生まれて、コート掛けとして生涯を送る……こんな数奇な運命を辿るとは、自転車本人も驚いてるに違いない。
ごめんな、マウンテンバイク。不甲斐ない主人を許せ!