返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

創造の人生29

时间: 2020-10-28    进入日语论坛
核心提示:トランジスタ 昭和二十七年三月、井深は海外事情視察のため、三ヵ月ほど渡米することになった。アメリカにおけるテープレコーダ
(单词翻译:双击或拖选)
 トランジスタ
 
 昭和二十七年三月、井深は海外事情視察のため、三ヵ月ほど渡米することになった。アメリカにおけるテープレコーダの使用状況、メーカーの対応などを調べ、参考にしたいというのが主たる目的であった。
 羽田で家族や会社の人に見送られ、井深はノースウエストの定期便に乗り込んだ。四発のプロペラ機である。機上の人となった井深は珍しく緊張していた。はじめての海外旅行だし、読み書きはある程度できても、会話が心もとない。それが緊張感を誘ったのだ。
 定刻、羽田を飛び立った飛行機は機首を北北東に向け飛び続ける。途中、アリューシャン列島沿いの小島に立ち寄り、燃料を補給、翌朝、アンカレッジに到着した。ここで井深は鼻白む思いを味わった。入国審査の手続きを、白人、黄色人種、黒人ごとに差別していたからだ。クリスチャンでもある井深はこれにはショックを受けた。アメリカ人のいう民主主義とはこんなものなのかと思ったのである。
 後味の悪さをふっきるように入国ゲートを出た井深は、ロビーを横切り、ノースウエストのカウンターまで足を運んだ。予定のコースは、アンカレッジからシアトルに飛び、ニューヨーク行きの便に乗り換えることになっている。ところが、肝心のニューヨーク便は、四日ほど待たなければないことがわかった。もっとも、その間は、航空会社の負担でホテルに泊めてくれ、市内観光までさせてくれたので、それほど不自由をしなくてすんだ。
 やがてニューヨークに着いた井深は、はじめて接する大都会に思わず目を見張った。道路には車があふれ、街中は活気に満ちている。夜ともなれば、さまざまな色のネオンや照明灯がこうこうと輝き、巨大な不夜城に一変する。
「これはたいへんな国に来たものだ」と、井深は驚いた。さらに井深の目を奪ったのは、中古車販売店にズラッと並んだ自動車だった。年式が古いとはいえ、日本なら高級車として十分通用する大型車ばかりだ。もともと車好きの井深は、よぶんな金があれば、買って乗り回してみたかったに違いない。残念なことに、その頃日本は出国が規制され、外貨の持出しもきびしく制限されていた。一日の滞在費も一〇〜二〇ドル程度で、うかつにタクシーにも乗れないというのが日本人旅行者の実情だった。
 井深が、ニューヨークに到着後、最初に訪ねたのは日商(現日商岩井)のニューヨーク支店である。義父の前田の友人で、当時、日商の社長をしていた西川政一の紹介で、山田志道という人に会うためであった。山田は戦前、日商の社員として活躍していた日系アメリカ人で、退職後もニューヨークにとどまり、株の仲買人をして生計を立てていた。人柄がよかったせいか、現地の人の受けもいいし、アメリカの事情にもくわしい。井深にとってはうってつけの案内人だったわけである。
 山田は、井深のために労を惜しまず世話をやいてくれた。「手もちの外貨が少ないので、ホテルに泊まるのがもったいない」といえば、手頃なアパートを探してくれる。こういう工場が見たいといえば、アポイントをとって連れて行ってくれる。好奇心の旺盛な井深にどれだけ役立ったかはかり知れなかった。井深は、旅先から日本にいる木原に、こんな国際電話を入れている。
「木原君、今日は、オーディオフェアですごい音楽再生を聞いたんだ。演奏は両耳の位置にくるよう二本のマイクロフォンを離してセットして、音を二チャンネルで録音し、再生のときはそれを別々に両耳のイヤフォンで聞くようにしている。これ、いまのうちの録音機にちょっと手を加えればできるような気がするので、僕が帰るまでに調べておいてくれないか」
 電話をもらった木原は、井深が何をいわんとしているかすぐわかった。さっそく自分なりのアイデアを加え、機械の開発に着手した。これがのちに立体録音機「ステレオコーダ」に発展していく(拙著『日本の磁気記録開発』参照)のだが、もう少し、ニューヨーク滞在中の井深の行動を追ってみよう。東通工を世界の檜舞台にのしあげるきっかけになったトランジスタとの出会いにつながるからだ。
 ウエスタンエレクトリック(WE)社が、「トランジスタの特許を望む会社に特許を公開してもよい」といいだしたのは、この前後のことだった。井深はこのニュースをアメリカの友人から聞いた。友人は、わざわざ関連書類を取り寄せ、井深のアパートまで届けてくれた。書類に目を通すと、特許使用料は二万五〇〇〇ドル(九〇〇万円)と書いてある。
「トランジスタか。おもしろそうだが、はたしてものになるかな」
 そのとき井深は、その程度の考えしか浮かばなかった。とはいえ、トランジスタを全然知らなかったわけではない。それどころか、昭和二十三年から二十四年にかけ、日本の物理学会や一部の電気技術者の間でトランジスタ論議が活発になった頃、製造部長の岩間とその可能性について話し合ったことがある。「現段階では将来性はない」というのが二人の結論だった。学生時代、無線の研究で使った経験のある鉱石検波器を連想してそう判断したのである。
 鉱石検波器は、方亜鉛鉱など特種の鉱石の表面に針を立て無線波を検波する装置で、鉱石ラジオに昭和初期から応用されていた。真空管が発明されてからは、ごく限られた用途に使用されているのみだったが、真空管自体の性能がまだ不安定であり、ガラス管が割れたりすることも多かった。そのため戦時中は鉱石検波器がレーダーの検波器として重用されたこともある。しかし鉱石検波器は取扱いが面倒で、ちょっとした操作ミスでも感度に微妙な影響が出た。そんなところは戦後にベル研が発明した点接触型トランジスタと非常によく似ている。井深はそれを思い出し将来性がないと判断したわけだ。
 しかし、知人が届けてくれた文献を見ると、発明された当時と違いトランジスタの性能もよくなり、実用化の道も拓けてきているらしい。案外、トランジスタはおもしろい素材かもしれないと、井深は思い直したが、そのときはトランジスタの将来性についてそれ以上落ち着いて考える暇がなかった。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%