帰国の日がだんだん迫ってくる。連日多忙な日を送ってきたせいか、疲れも目立ってきた。だが井深は、下宿先のアパートに戻っても、頭が冴えて眠れない夜が多かった。これまで見聞きした情報やできごとをどうやってみんなに知らせるか、それをいかに活用するかといった考えが、脳裏に次々に浮かんでくるからだ。気を紛らすつもりで、改めて東通工の将来を考えることもした。いま確かにテープコーダは売れている。だが、そのために大学、高専出の若い優秀な技術者を何人も抱え込んだ。この人たちを将来、活かすにはどうしても次の目標が必要だ。それを何にするか。
「トランジスタの実用化がいい、技術的には未解明の問題がたくさんありそうだが、うちの技術者は新しいものに首を突っ込むのは大好きだ。この仕事はうってつけかもしれない」
考えがまとまるとアクションは速い。井深の若いときからの生活信条であった。通訳兼案内人の山田に自分の考えを打ち明け、WE社に連絡してくれるよう頼んだ。山田はさっそくWE社の特許関係の人と接触をはじめたが、なかなか面会の日取り調整がつかない。そのうち井深が日本に帰る日がきてしまった。そこで井深は、後事を山田に託し帰国することになった。
三ヵ月ぶりに日本に戻った井深は、ふたたび多忙な工場生活に戻った。もちろん、トランジスタ実用化の話も盛田に打ち明け納得してもらった。しかし、それはまだ先の話で、当面の課題を解決することが先決だった。やっかいな問題が一つあった。アメリカの在日輸入業者「バルコム貿易」と特許がらみの論争を起こしていたことである。
民放の開局ラッシュで、テープコーダの需要が急速に拡がったことは前にも触れたが、これに着目し、アメリカ製のテープレコーダを、事務用品、自動車部品、または在日外国人向けとして通産省から輸入許可を受け、百貨店など国内販売業者を通じて売りはじめた貿易会社があった。アンペックス社の代理店と称する「バルコム貿易」がそれである。
これを知った井深と盛田は、さっそくそのテープレコーダを購入、分解してみた。その結果、東北大の永井教授の発明した交流バイアス法とまったく同じ技術でつくられていることがわかった。井深はおこった。東通工の保有する特許権を侵害していると判断したからだ。
「永井先生は、戦前、日本で特許を取ったあと、すぐアメリカにも特許を申請されたが、太平洋戦争のおかげでウヤムヤになってしまった。それから一年半ほどしてアメリカのM・カムラスという人が、永井方式とまったく同じ内容の技術を考え出し、アメリカで特許を取った。同時に日本以外の主要国にも特許を出願し、権利を取得していたんですね。しかし、日本では永井先生の権利が確立している。そこで私どもはバルコム貿易に対し再三警告した。ただちに輸入をとりやめろ、それがいやなら特許料を払えとね……」
ところがバルコム貿易は、東通工の警告を頭から無視し、アメリカ製品の優位性を強調した宣伝をする。東通工が抗議すると「敗戦国のくせになまいきなことをいうな」といわんばかりの態度を取った。これで堪忍袋の緒を切った井深は、さっそく告訴の手続きをとった。昭和二十七年九月一五日の朝日新聞は、それを次のように報じた。
「選挙戦に、報道放送に、教育用に、今や〈時代の花形〉になっているテープレコーダの特許権をめぐって、日米業者間で激しい争いが行われている。この特許争いに通産省内でも電気通信機械課と特許庁通信測定課とが対立し、その成り行きが注目されている。この問題は国産テープレコーダの三分の一をつくっている東京通信工業が、アメリカの輸入業者バルコム貿易を相手どり、アメリカ製テープレコーダの輸入、販売、使用、陳列、移動などを禁止する仮処分を東京地裁に申請、その決定により十五日、東京ではバ社および日本橋高島屋の二ヵ所、大阪では心斎橋筋のミヤコ商会一ヵ所計三ヵ所の輸入テープレコーダ数十台を、いっせいに仮差し押さえしたためにたちまち表面化した」
国産初のテープレコーダの開発で注目されているとはいえ、当時の東通工は資本金二〇〇〇万円、従業員二〇〇名足らずの中小企業。その東通工が、四〇〇万円近い供託金を積み、強硬手段を取ったことに関連企業は一様に目を見張った。特許権の共同保有者である日本電気が静観しているのにである。
業界の一部には「東通工は別の意図をもっているのではないか」と、疑いの目を向ける人もいた。だが、井深、盛田はそんな下心があって強硬手段を取ったのではない。この問題は、日本の産業界全体にかかわりのある不信行為であり、これをウヤムヤにしておけば悪い先例を残す。相手がアメリカであれ、絶対にあとにひけないと、悲壮な決意を固めていたのである。
東通工の強気な姿勢に批判的だったのは、バルコム貿易にテープレコーダの輸入を許可した通産省電気通信機械課である。その根拠として次のような見解を担当課長が述べている。
「東通工は自分の権利を正しく行使した。だが、その権利を隠れみのにして、交流バイアス法によるテープレコーダの製造権を独占し、他社が正当な特許使用料を払って、同方法によるテープレコーダをつくることまで拒否している態度は、通産省としても納得しがたい」(二十七年九月二五日、朝日新聞)
これは事実を誤認した意見といわざるを得ない。交流バイアス法の特許は日本電気と共有であって、東通工一社が独占していたわけではない。テープレコーダをつくる気があるならば、日本電気と話合いをする努力さえすれば、つくることも可能だったはず。東通工を一方的に批判したのはおかしな話であった。