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創造の人生43

时间: 2020-10-28    进入日语论坛
核心提示:ソニー流会議運営法 塚本たちはこの解決のため、連日のように激しいディスカッションを繰り返した。「私たち結晶グループは個性
(单词翻译:双击或拖选)
 ソニー流会議運営法
 
 塚本たちはこの解決のため、連日のように激しいディスカッションを繰り返した。
「私たち結晶グループは個性派が多かった。それで、はたで見ているとケンカでもしているように見えたかもしれません。議論はおおいにやるべきだと奨励した。下手にベクトルを合わせ、各人の個性を潰すよりいいと思ったんです」
 これはソニーの会議運営の基本精神にのっとっている。会議の席では在社歴や経験歴の多少を問わず、出席者に発想や意見を自由に発言させる。それによって、各人の参加意識も高まるし、思いがけない問題解決の緒を見つけだすことができるかも知れない。それを見定めるのがマネジャー、プロジェクト・リーダーの役割だ、というのがソニー流会議運営法の提唱者、井深の考え方でもあった。
 こうして塚本たちは、どうにか実用に耐えられそうなトランジスタをつくりあげることができた。やがてこのトランジスタを組み入れた八インチの白黒テレビがつくられる。三十五年五月に発売された世界初のトランジスタテレビ〈TV8‐301型〉がそれである。このテレビはシリコンとゲルマニウムのトランジスタが二三石、ダイオード一五、高圧ダイオードを二個使っていた画期的な製品であった。
 しかし、このテレビに対する世評は必ずしもよくなかった。価格も高かった。画質も真空管式に比べると見劣りする。そのうえ故障が多かった。高出力トランジスタの特性が不安定だったからだ。もっとも、この頃、日本で売られていた真空管式テレビも故障が多かった。ちょっとしたことで同期がくずれ、画像が流れてしまうということがひんぱんにあった。だが、これは理由にならない。
 井深は「せっかく市場に出した世界初のトランジスタテレビがこんな状態では困る」と技術陣にハッパをかける。鉄は熱いうちに打て、といわれるように、ここで手綱をゆるめず再挑戦しなければ、ブレークスルーできない。井深の気性をよく知っているだけに、塚本たちも必死であった。
 たまたま手元に届いたアメリカの専門誌『エレクトリック・ニュース』のページをめくっていた塚本が思いがけない記事を発見した。
《アメリカのベル研究所が気相成長法によるエピタキシャルトランジスタの開発に成功した》というものだ。
 塚本は一瞬「これだ!」と思った。短い記事で詳しい内容はわからない。しかし、単結晶のうえに同じ単結晶の酸化膜を成長させるというこの技術をうまく利用すれば、自分たちが抱えている問題の解決に役立つに違いないと考えた。
「さっそく岩間さんのところにその雑誌をもって行き、テレビ用のトランジスタにぴったりだから、ぜひやらせてほしいと頼んだ。岩間さんも『よし、試しにやってみろ。責任はオレが取る』と、いってくれた。それからがたいへん。参考文献もないし、実験する場所もなかった。文献を探すかたわら、小さな物置小屋を改造して、ちゃちな実験室をつくったわけです」(塚本哲男)
 文献探しも根気よく続けられた。世界中の情報が集められ、戦前にソビエトで発行されたという本を見つけた。が、ロシア語のわかるものがおらず、翻訳者を探すのにまた一苦労した。
 研究に着手して三ヵ月目の三十五年九月にはエピタキシャル技術を完全にマスターすることができた。三十六年には大出力のメサ型エピタキシャルトランジスタ(シリコン)の試作に成功する。当時の技術レベルから見ても異例の速さであった。チッソ電子との共同研究の賜物といえた。
 その直後、たまたまベル研を訪ねた塚本が、新しくつくったテレビ用のシリコンウエハーと製造装置の写真を関係者に見せると「オレたちもいま同じようなものをつくろうと苦労してる最中だ。それなのにキミたちはこんないいものをつくっている。どうやってつくったのか、くわしく教えてほしい」と、逆にベル研の技術者に懇請されたという。
 前にも触れたように、エピタキシャル技術はベル研が開発したものである。ところが、塚本たち結晶チームは、その一片の情報をもとにベル研の発明を上回るエピタキシャルトランジスタを短期間でつくりあげてしまった。これもノウハウ契約で向うの先進技術をそっくりもらい、安全確実な方法でものをつくってきた同業他社と違い、入手した技術情報をたたき台に、自分たちで苦労して追試をかさね、必要なトランジスタをつくってきた実績があればこその成果であった。
 シリコンのパワートランジスタの生産見通しがつくと、新しいトランジスタテレビ開発のプロジェクトチームが発足した。開発目標は五インチ小型テレビ。これに適したトランジスタの設計から、ブラウン管、ブラウン管用のガラス、偏向角、アンテナと、従来の常識では考えられない未踏の技術に挑戦していかなければならない。それも絶対秘密という条件つきであった。そのため部品は全て自社製という徹底した隠密作戦が展開された。
 担当者の帰宅時間も遅くなる。深夜の一一時、一二時は当たり前。日曜、祭日まで出勤して頑張った。
「こんなに人づかいの荒い会社はないのでは……」とボヤク若者もいたが、戦列を離れるものは一人もいなかった。当時、テレビ用のトランジスタの設計を担当していた宮岡千里(学習院大学理学部物理科、三十四年入社、のち常務)もこう語る。
「トランジスタでテレビを動かすという井深さんのすばらしい夢を実現させようと、みんな燃えていました。入社してまだ日が浅いのに責任の重い仕事をまかされて、それだけに、徹夜が続いても、まったく苦になりませんでした」
 苦難のうちに、三十六年一一月には何台かのプロトタイプをつくることに成功する。この試作機は暮れに、井深をはじめ、主だった幹部に預けられた。正月休みにテストしてもらうためである。
 最初の八インチテレビが故障の多かったことは前にも触れたが、そのとき、いちばん問題になったのは温度特性に弱いことであった。夏に向かうとトランジスタの特性が微妙に変化する。そのため同期がくずれるという事故につながった。新しいテレビでは厳密なテストを繰り返し、高温に耐えられるようつくってある。その成果を試してもらおうと思ったのだ。
 休み明けにもらった返事は「夜はチャンと映るが、朝スイッチを入れると同期がくずれている。これじゃダメだ」という。高温対策に気をとられ、温度が下がったときのことを忘れていたのだ。そんな思いをしながら、ともかく、世界初の五インチマイクロテレビ〈TV‐303〉を発売することができた。昭和三十七年四月のことである。このソニー技術陣の一連のブレークスルーがシリコントランジスタの民生用への活用の道を拓いた最初のケースであったことはいうまでもない。
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