リボン、捲き毛、フリルのブラウスにパニエを仕込んだスカート。そんな完全武装のロリータ・ファッションをこよなく愛する僕の許に、一人の少女からお手紙が届きました。どうやら彼女は、ロリータ・ファッションに憧れつつも、そのような格好が出来ずに悩んでいるようです。そう、世の中にはそのような乙女の苦悩が蔓延しているのです。ブリブリのロリータをしてみたい。だけど、そんな格好をしたらパパに殴られる、近所の人からキ○ガイ扱いされる。理由は様々でしょうが、ロリータ魂を持つ者にとって、これは由々しき人生の一大事に違いありません。
最近、ロリータ・ファッションがマスコミの興味をひいているようです。彼らは相も変らず古めかしい少女文化論をかざし、それが「成長拒否のあらわれ」だとか「セクシャリティの欠如」だとかいう陳腐なコードで、僕達を評価しようとします。決して全面的に間違っているとはいいませんが、的外れであることは確かです。何故なら、彼らの論理には文学的要素が欠如しているからです。僕達が実践するロリータとは、文学的に語られるべきものなのです。ロリータの本質は、ロリータ・ファッションを着用することにある訳ではありません。ロリータ・ファッションに憧れること。ゴージャスなフリルを見た時、失神しそうになるデコラティヴへの生理的恍惚感。十八世紀趣味。たとえロリータ・ファッションをしていなくとも、この宿命ともいえる美的感性を内在することが、真性ロリータの証なのです。ロリータ趣味は一過性のものではありません。サディズムやネクロフィリアと同じく、原罪のように一生背負わなければならない、嗜好の十字架なのです。
たとえば、バリバリのスーツに身を包んだ社長秘書が自分のロリータ性癖をひた隠しにしながらも、内ポケットにそっとキティちゃんのボールペンを潜り込ませているなんて、切なくも美しい姿だとは思いませんか。「秘すれば花」という言葉がありますが、ロリータも然り。ロリータとしてカミングアウト出来ない人は、こっそりと隠れキリシタンのように奥ゆかしきロリータとして、生涯をまっとうすればいいのです。だけど、やっぱり、本当に身も心もロリロリしたいの! という人には Jane Marple や MILK なんかで、一番ノーマルな小物を購入しておくことをお勧めいたします。出来るだけ高価なものがよいですね。大切なお出掛けの時には、それを携帯、もしくは着用。そうすれば、周りのロリータ達に気後れすることもありません。