私が今日まで見た気の弱い友人から三人を選んでお話しましょう。いずれも私やあんたたちには身につまされて「よく、その心情、理解できる」話なんです。
A君は毎日、中野駅から東京駅まで出勤するサラリーマンなのですが、寿司づめの国電の中で若い女性に体を押しつけられる時と、スカシ屁を誰かがした時ほど辛いことはないと言っていました。
いつだったかA君が汗ダクで国電に乗りこみ、やっとつり皮にぶらさがった時、突然、異様な臭気があたりに漂いだしました。誰かが例のスカシ屁を一発やったんです。A君はその震源地は彼の前に腰かけている妙齢のBGだとすぐにわかったのですが、そのBGは平然とした顔で、平然どころか、いやまるでA君が犯人であるかのような眼つきでじっと彼を見上げているじゃありませんか。
「臭いなあ」たまりかねて、車中誰かが叫びました。
「ひどい奴だな、この中で屁をするなんて。どいつだ」
BGはまだじっ[#「じっ」に傍点]A君を見ている。そしてその唇のあたりに軽蔑的なうす笑いさえ浮べたのです。あんたでしょう。おナラをしたのは、まるでそう言っているようだ。
(ボクじゃない)A君は叫びたかった。(ボクじゃない)
しかし彼女のいかにも自信ありげな顔をみると、気の弱い彼は、(ボクじゃあ、ないんです。いいえ。ボクかもしれません。ボクでした。申しわけありません)
だんだん、そんな心境にさせられてきた。そして自分がスカシ屁の犯人のようにうなだれ、眼を伏せ、東京駅まで苦しみながら乗りつづけた、というのです。
「ぼかあ、モスクワ裁判なんかで、被告が自己批判をした気持が、今こそよくわかりました」
彼は後になってそう申しておりました。