女子学生というのを諸君、ご存じか。おそらくも大学在学中のころはあの手合いと随分おつきあいなされたことでありましょう。そのころ、諸君はあの連中を何かまぶしい花をみるように窺いながら、胸ときめかしておったのではないか。
かく申す拙者《やつがれ》は終戦直後、大学の一年生でしてな。その時、はじめてといっていいくらい女子学生が大学に入学してきたのである。
今とちがって、小学校をのぞいては女の子などと席を並べて勉強したことはない封建下に育ったわれわれに、彼女たちは何とまぶしく、花やかにみえたことであろうか。
わが慶応大学には当時、聖心女子学院ちゅう、お上品学校からの進学者が多くてな。
「あの、次のご授業のお教室は……どこでございますの」
そんな言葉は姉妹にも使われたことはないから、拙者などドギマギして、
「はっ。次のご授業のお教室はこのお廊下を右にお曲りになった三番目でございます」
懸命にお答え申しあげたもんである。向うはこっちのドギマギに気がついて、
「オ、ホ、ホ、ホ、ホ」
なにも笑う時にまで、オをつけなくていいじゃあねえか、聖心の学生。
あのころ、大学も困ったろうな。今まで男の学生ばかりウロウロ、ガヤガヤしておったところに、女子学生がなだれこんできたから。手ぬきが随分、多かったなア。たとえば女子学生用の便所なんかなかったからね、あのころ。
「おーい。おメエら、なぜ、便所の前に列つくってんだ」
「はいってんだよ。二人」
「はいってるって。何がはいってるんだ」
「女子学生が二人、俺たちの便所、使ってんだよ」
てなことで、まさかこっちはウラ若い女性がご使用遊ばされておるご不浄に侵入することはできんからね。みんな尿意の刻々と烈しく迫りくるを我慢しながら、足ぶみやっておる。バタバタ、ドタドタ(靴音ならしながら)、
「うーん、まだか」
「まだだ、まだだ」
「俺はもう駄目だ。洩るで」
「俺も洩るで。だれか、中をちょっと、覗いてくれえ」
もうすんだかと中を覗いてみると女子学生二人が涼しい顔をして鏡の前で髪すいてんですよ。こっちの苦痛も知らぬ顔で。「あの……中村先生のご授業、明日、あるかしら」「いいえ、明後日よ」などと言いながら、こちらは「洩るで」「洩るで」と大騒ぎであった。