君はしかし決然、朝顔の前にたつ! 社長とならんで放尿しはじめる! しかして、かの時、この時、君は黙々とキビシイー顔をして直立不動、オシッコをつづけるか。それとも、
�何か言うべきだろうか。何か言わざるべきだろうか。ザット、イズ、クエスチョン! チョン、チョン�
迷い、ためらい、ついに意をけっして、
「おはよう、ございますッ」
そう叫ぶだろうか。そして老社長からジロリと顔をみられ「用便中には挨拶せんでよろし」ひくいが威厳ある声で言われ「ハッ、わかりました。用便中は挨拶しません」そう答えるだろうか。このケースのばあい、君の自意識は七十パーセントだろうな。
ところが、自意識の百パーセントある男はどうかというと、これは朝顔の前にソロリソロリと立って、コソコソとボタンをはずし、前者と同じように迷い、ためらうのだが、結果が少しちがうのだな、結果が。どうちがうというと、彼はそおっと社長の顔をうかがい、チョビチョビッと放尿し、社長をまた、そおっとうかがう。そこで社長もキッとなって、こちらを睨《にら》みつけると、
「へ、へ、へ、へ、へ」
まあ何というか、泣き笑いというか、チンコロに塩をぶっかけたような、実に卑屈な顔をして頬に愛想《あいそう》笑いをうかべ、
「へ、へ、へ、へ、へ」
「なにが、おかしいか」
「はあ、すみません……でした」
君がこういう男であるならば、君は拙者の友人だ。語るに足る人だ。真に風流を解する人だな。なぜなら、このへ、へ、へ、へには、彼の悲哀のすべてがこもっているのであって、この悲哀は人間の人生にたいするどうにもならん悲哀に通じているからな。
そしてこういう便所で社長にへ、へ、へ、といった仁はけっして会社ではパッとせんであろう。出世も遅れよう。なぜなら、彼は自意識欠如の連中のように、臆面もないことがつぎからつぎへといえたり、できたり、でけんからである。しかし君がそれをいかに嘆こうとも、その君の悲哀とやさしい心根はこの狐狸庵、よく知っておりますぞ。
たとえば、こういう仁は外国がえりの課長がだな、帰国早々、自慢たらたら、
「いやあ。外国ではな、日本語で全部、押し通してやったよ。だいたいだ。向うの毛唐が英語をしゃべるからといって、何も俺たち日本人が英語を使うことはないぞ。ホテルでもレストランでもみな日本語だ。オイ、女、酒モッテコイ、そう怒鳴りつけてやると、びっくりして、それでもちゃあんと酒をもってくる。こうじゃなくちゃあいかんよ。毛唐の女にたいしてでも�オイ、俺ト遊ベ、俺ハ日本民族ダ。ワカッタカッ。バンダノ桜ニ富士ノ雪、大和心ト人問ワバ朝日ニ匂ウ山桜カナ�こういう日本語で言うてやると�オー、ナイス、ワンダフル�こう通じちゃってオー・ケーとくるんだな」
いい加減な出駄羅目《でたらめ》を吹いても自意識のない奴は、
「課長は豪傑だからなあ」
歯のうくようなお世辞をいえるだろうな。しかるに君はそんなお世辞をいうのがたまらなく照れくさく、といって、ただ黙りこんでいるのも不甲斐ないと自嘲にかられ、ただ阿呆のように課長の顔をポカーンとみるのだな。もし君がそうなら、狐狸庵、君のような人間が大好きだなあ。