むかし渋谷(東京)の長屋に住んでおったとき、猫を飼っておったな。メス猫でな。全身、真黒であった。
ところがだ。この猫に亭主がいてな。隣の左官屋さんのドラ猫で——この亭主はこれが猫かと思われるほど憎ったらしいまでに肥っておって、髭なんかも偉そうにピーンと左右にはねあがっとるんだな。そして人間なんか現われても、ジロリ、見るだけで、ニャアともミョオーとも鳴かん。生意気というか、傲岸《ごうがん》というか、そのくせ大のグータラでネズミ一匹とるわけでもない。一日中、左官屋さんのトタン屋根の蔭になっておるところで眠っておるのである。
女房の黒猫(つまり、わしの猫)は健気な奴で、いじらしいほどこの亭主に仕えていたなあ。
夕飯どきになり、わしが皿の中に鯛の頭、調味料をよくかけた汁ご飯(わしは当時食事だけは、ゼイタクであったな)を入れてやっても、自分は決して食わん。台所の外に出て、西日のカアッと照る隣家のトタン屋根のほうを見て、
「ミャウ、ミョ、ニョウ……ニョウ」
せつない、いじらしい声を出して鳴くんだ。つまりこの猫語を人間に翻訳すれば、ミャウはあなた、ミョは来い、ニョウ、ニョウは早く早くの意があるから(以下の猫語は津田米吉博士著『猫語人語辞典』による)、
「あなた、いらっしゃいよ。早く早く、お食事よ」
と訳してもほぼ正解であろう。
ところがだ。亭主のドラ猫は女房のこの献身的ないじらしい声を聞くと、ありがとうも言わず、
「ア、アー、アッ」
と背中をのばして、のびをし、ガリガリガリ前足でトタン屋根をかき、偉そうにノッソ、ノッソ、ノッソと地面におりてくるのだ。
そして自分はネズミ一匹もとらぬくせに、彼はわが家の台所に堂々と上りこみ、女房の食事を一口、二口たべる。そして、
「ミョー」(まずいッの意)
と唸《うな》る。すると、そばでな、小さく、うずくまっていた彼の女房は、
「ミュー、ミュー」(申しわけありませんの意)
かぼそく、哀しく、恐縮して泣くんだなあ。