あの光景を毎日毎日、わしは夕暮に見て、感動した。猫でも女房は夫のためにこうまで尽す。婦道を守る。節婦の行為をする。偉い、立派。だが、それにしてもこのドラ猫の横暴は何だろう。人間の亭主だって、こんな無茶な我儘《わがまま》は女房にしない。君だって奥さんにこんな偉そうな真似はしないだろう。君の奥さんが、せっかくつくってくれた夕飯を一口、二口食って、
「不味いッ」
吐きだすように言うだろうか。そんな亭主はわれわれの間には断じていないと思う。そう考えるとわしはムラムラッとして、うちの黒猫のために怒鳴ってやったのだ。
「バカ者ッ。生意気なッ。わしは、お前の夕食代をつくるために狐狸庵閑話のような心血をそそぐ文章を書いておるのではないぞ、バカ者ッ」
おそらくわしの日本語——じゃない人間の言葉は、左官屋のドラ猫には理解し得なかったと思う。しかし、わしの鋭い語気と迫力ある怒面は相手に通じたにちがいない。にもかかわらずだ。
「ニィーッ」(フン、何ぬかすの意)
ドラ猫は少し歯をむき出し、わしを脅かすと、台所の戸の隙間から悠々立ち去っていった。
女房の黒猫はその光景を震えて見ておった。可哀相に彼女の主人と亭主との間に板ばさみになり、孝ならんと欲すれば忠ならず、哀しげな目で、
「旦那さま、すみませんです。うちの人はあれでも根はいいんです。ただ我儘なんで……。ゆるしてやってくださいまし」
あたかもそう言うかのごとく、わしをじっと眺めるのだな。わしは憐憫《れんびん》の情にかられ、
「人間も同じだが、猫も悪い亭主をもつと苦労するなあ」
思わず、そう呟いたものである。
この猫は偉かった。というのはそれから一年後、わしが東都の騒音に耐えかねて、この柿生の里に引き移るとき、わしではなく、あの仕様もない亭主に操をたておって、荷物をつんだ小型トラックから飛びおり一目散に逃げていったからな。逃げ先はもとよりわかっておった。亭主のところだ。
そして、どうなったか。
わしがいなくなった空屋に一人住み、亭主は相変らずトタン屋根の上でぐうたら寝てばかりいて女房のため働く奴ではないから、彼女だんだん痩せていってなあ(近所の人の手紙による)、それでもこんな甲斐性のない亭主を見捨てもせず、「台風の日、雨にうたれてビショ濡れになり、痩せた体で近所のゴミ箱をさがし歩いているのが目につきましたが、それから見えなくなったと思ったら、用水池に彼女の死骸《しがい》が浮んでいました」
近所の人からそう書いてきた。亭主のほうは哀しそうな顔一つせず、相変らずトタン屋根で昼寝ばかりしているとのこと。
わしはその手紙を読んで、いわれなく感動したなあ。人間の男と女というものの関係も結局、こうではなかろうか。