実際、私もその後、色々な先輩文士と知合ったが、この梅崎春生氏ほど最初にケッタイな印象を与えた人はほとんどいない。夢も希望もある青年を街頭易者につれていって、未来を占わせ、その街頭易者がまた変な男で、
「駄目だナ、これは。とても小説家になれん。怠けものの手相だ」
などと言うのを背後でジッと陰鬱な眼を光らせて聞いた揚句、
「君は小説家になれぬそうですよ。では、さようなら」と呟いて街頭におきざりにするような奇妙な先輩はそう滅多にあるものではない。私は正直言って、その時、ポカンとしながら氏のうしろ姿を見送りつつ、
(なんと意地悪な人だ)
つくづく思ったのである。
のみならず、それからふたたびあのランボオの店で氏と顔を合わせることがあっても、梅崎さんは陰鬱な眼で人をジッと見るだけで、あの出来事も私という人間もすっかり忘れた風なのである。私はしまいには可笑《おか》しくなり、彼とすれちがうたびにオボエテイロと心のなかで呟いたくらいであった。
こうしてその後、梅崎さんから話しかけられることも、こちらから挨拶することもなく四年の歳月がたった。
その四年のあいだ、私はヒョンなことから仏蘭西《フランス》に留学して日本に戻り、はじめて短編小説を書いて『三田文学』に発表してもらった。
ところが、自分では一生懸命書いた二十枚の処女作だったが、合評会である先輩から手きびしい批評をうけて首でもくくって死にたいような気持になった。家に戻っても、あまり癪にさわるので煎餅《せんべい》布団にもぐりこんでブツブツ呟いていると突然、電話がかかってきた。四年ぶりで聞く梅崎さんの声だった。
「あの……君の小説が悪口言われたそうですね。あの……ぼくもたびたび悪口、言われたことがありますが、まア、おたがい頑張りましょう。では、さようなら」
その時の梅崎さんの短い言葉には、滅入っているこちらの気持にジインとしみこむ優しさがあって、今でも忘れられない。私は受話器をおいたあと、一体、梅崎春生氏は本当は意地悪なのか、今のように心優しい人なのか、しばらく考えこんだほどだった。