『三田文学』の集まりに、はじめて私が出席した時、誰にも話しかけず、話しかけられてもほとんど口をきかぬ奇妙な人のことは前回で少しふれた。その人はまわりの声もほとんど耳に入らぬように、大きな哀しそうな眼をみひらいて、どこか遠くの一点を見つめていた。それが原民喜《はらたみき》という作家だった。
原民喜の名はおそらく今日、多くの読者は御存知ないかも知れぬ。彼の作品はごく僅かだし、あまりに早く死んだからだ。しかし読者よ、もしこの一文によって原民喜の名を記憶されたならば、彼の『夏の花』という作品を読んで下さい。あるいは数少ないその短編をひらいて下さい。『夏の花』は、戦後いくつも書かれた広島原爆の日を語る作品のなかで、最高のものである。そこには大声も大きな身ぶりもない。そこにあるのはその日を体験して、大きな哀しい眼で全てを目撃した語り手の声である。
原さんは原爆の日、広島であの地獄のような一日をおくった。私がその原さんを知ったのはそれから三年目、妻も子供もいない彼がたった一人で先輩の丸岡明氏の家に『三田文学』を手伝いながら下宿していた時だったのである。
原さんという人物の外形をどう説明したらよいだろう。たとえば皆さんに、外に出かける時でも電車に乗る時でも一緒につれていってやらねば、こちらが心配でならぬというような小さな弟がおられるだろうか。それは、その弟が世間のことにいっさい馴れていないためだけではなく、あまりに清らかで、あまりに無垢《むく》なために、それを傷つけてやりたくない——そんな気がして、いつもそばに寄りそってやってしまうような弟。そんな弟がおられるだろうか。
もしそんな弟がいるとしたら——それが原さんの周りの人々に与える印象だったのである。二十歳もちがう先輩の原さんのことを弟などと比較するのはおかしいが、文学のことを除けば、原さんは私のようなずっと下の後輩も、そばに寄りそっていなければあぶなっかしくて見ておられぬ気持を起してしまう——そんな人だった。
佐藤春夫氏がこのことにふれて、はじめて佐藤春夫氏の門をたたいた時、原さんは、奥さんに連れてきてもらって、彼女のかげに、まるで子供のようにかくれ、奥さんに何もかもしゃべってもらっていたと語っておられたが、この光景は、我々には眼にみえるようである。