原さんの奥さんは評論家、佐々木基一氏の姉上にあたる美しい人だったが、彼女は病気でなくなる前、自分が死んでしまえばこの人はどうなるだろう、とても死ねないと言ったそうだ。電車一つ乗るにも、切符を買ってやり、この次の次で降りるんですよと念には念を入れて教え、いや、この人のことだから、もし間違ったら子供のように哀しそうな顔をして、途方にくれるだけだと思うとついに一緒に電車に乗ってしまったその時の夫人の気持が、私にはよくわかるような気がする。
原さんは、懐中に死んだその夫人の写真をいつも持っていた。私はそれを見たことがあるが、娘のように若く美しい人で、酒によった原さんは、
「これは、ボクの姉です。姉です」
と呟いていたけれども、それはたんに照れかくしだけでなく、この奥さんが生前、何もできぬ原さんを姉のように保護し、かばったからであろう。そしてその夫人を失った彼にはますます彼女と、彼女の住む天上の世界が憧憬の対象となったにちがいない。子供のような彼の細やかな心を傷つける地上のものがあまり多ければ多いほど彼は夫人のいる天上の世界に一日も早く行きたいと考えていたにちがいないのである。
にもかかわらず、原さんがまだ生き[#「生き」に傍点]つづけていたのは、原爆の日のことを人々に語っておかねばならないからだった。それを語り終えた日、彼はこの地上にさようならを言い、遠くに旅だつであろう。
私はこんな光景を見たことがあった。ある夕暮、私は外食券食堂に一人さびしく食事にいく原さんと神保町を歩いていた。ヨレヨレの合オーバーに、よごれた鳥打帽というのが原さんのいつもの服装だったが、少し猫背気味でポケットに両手を入れて歩く彼に私はペチャクチャと、くだらん話をしかけていた。その時、都電が私たちの横を通過した。そして電線から火花が散ったのである。
その時、原さんの体は突然|痙攣《けいれん》した。いつもは哀しげなその眼が恐怖で大きくみひらかれ、痙攣した体はそのまま、しばらく硬直していた。
「どうしたんですか。原さん」
私はびっくりしてたずねた。
「あのネ」しばらくして原さんは呟いた。
「あのネ、ぼくはネ、原爆の時、あんな光をみたもんだからネ」
ところが、たった一人ぼっちの原民喜の寒い生活に、ある日、灯をともすような出来事が起ったのである。彼は一人の少女と知合いになったのだ。
それは夏の夕暮のことだった。私は今、NETにいる根岸茂一と、原さんを真中に入れて神田の裏道を歩いていた。私と根岸は声をはりあげて「伊豆のやまア、やまア、つきイあわくウ」という流行歌を歌い、原さんにも歌えとしつこく誘っていた。
「あのネ、ボクはネ、歌えないヨ」
と原さんは断り、困ったようにうしろからついてきていた。
その時、突然、一羽の鶏がバタバタと羽ばたきながら横道から飛出てきた。そして大きな籠をもった十七、八の可愛い少女が、その鶏を追いかけて走り出てきた。私と根岸とがバッタのように鶏にとびかかり、つかまえてやると、少女は顔を赤らめて礼を言った。
「なア、遊びにこいよ、来いったら」
と私たちは厚かましく誘い、原さんの住んでいる場所を教えてやる間、当の原民喜は、我々後輩のうしろでハニかんでモジモジとしていた。