先日、阿川弘之とある酒場に寄ったら、そこのホステスがうっとりとした口調で言った。
「飲んだ吉行さんって、すごく色気があるわ。こわいくらい。眼のふちなんかポーッと赤くなって、あの眼でじいっ[#「じいっ」に傍点]と見られると、引きこまれそうになるの」
阿川も私も男だから吉行に色気があるのか、どうかわからぬ。しかし私は時々、考えるのだが、もし我々の友人が女性だったら吉行は普通の嫁さんなどにならず、柳橋の芸者か銀座のバーのマダムかナンバー・ワンなどになっていたかもしれん。そしてその吉行の店に、もし近藤啓太郎があらわれマダム吉行に惚れたら、こりゃ一体、どういうことになるだろう。そう考えると面白くなり、私は心ひそかにこれら友人たちが女だったらどんな将来になっていただろうと想像してみた。その結果は左の通りである。
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吉行淳之介……銀座バー「蘭」のマダム
阿川 弘之……防衛大学食堂のおばさん(軍艦婆さんなどと言われ、戦争中新聞などにも載ったことあり)
三浦 朱門……建築技師の妻、傍ら家庭裁判所などにも勤務す
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その他もろもろの先輩友人について想像したのであったが、それをそのまま書くと後がこわいから略することにする。
しかし吉行に色気がぐーんと出てきたのはここ数年来で、我々がたがいに知りあった頃の彼は病みあがりで鶏のように痩せこけていた。「第三の新人」といわれる友人たちは相前後して芥川賞をもらい、文壇にデビューしたが、その頃、芥川賞は今のように華々しいものではなく、貧乏生活にそう変りあるはずはなかった。私が吉行の家に行くと、彼は憂鬱《ゆううつ》そうな顔をして横にチリ紙の束をおき、婦人雑誌に名作ダイジェストの話があるが、あれをやれば二ヵ月は何とか食えるかもしれぬなどとボソボソ呟き、ハナ紙で鼻をたえずかむ。そしてふりかえりもせずそのハナ紙を、肩ごしにうしろにポンと放る。ところが奇妙なことにその放ったハナ紙は部屋の隅においてある紙屑籠にスポッと入るのである。私はまるで手品でも見るように吉行のその手つきを眺め、
「どうして、そんなことができるのだ」
と言うと、自分は喘息《ぜんそく》もちでこれを何百回もやったから、できるのだとこれまた憂鬱そうに呟くのだった。