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ぐうたら交友録43

时间: 2020-10-31    进入日语论坛
核心提示:名人芸的なだまし方 坊っちゃん育ちの村松は人を疑うことを余り知らない。たちまちにしてこの自称、松平の言うことをコロリと信
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 名人芸的なだまし方
 
 坊っちゃん育ちの村松は人を疑うことを余り知らない。たちまちにしてこの自称、松平の言うことをコロリと信じてしまった。(もっともその頃は私も本当だと思っていたのだから村松を笑うわけにはいかない)
「あのね、スケールの大きいことを言うよ」
 ある日、村松は苦笑しながら私に言った。
「この間もね、あれと宮城前を歩いていたら、突然、たちどまって、僕にこういうんだ。世が世なら、あの宮城は俺のものです。売れば五年は食えたでしょうなって……」
「なるほど」
 ある日、彼は村松と私のところにまたやって来て、「近く結婚することになった。相手は京都の公卿の三条の娘だが、まだ会ったことはないのです」と言った。会ったことのない女性と結婚するのかとビックリした私たちがたずねると、
「俺たちは先祖代々、政略結婚ですからね。惚れたとかハレたとかはあんたたち庶民の感情ですよ」
 と冷笑するのである。そして婚約報告のため、日光東照宮に行ってこねばならね。旅費を貸してくれぬかと言って、私たちから多少の金をかりた。
 断っておくが、後にも先にもこの男が我々から金銭をだましとったのはこれ一回だけであった。彼はサギ師だが、むしろ自分の嘘をたのしんでいたらしい。
 五、六日して朝早く、突然、彼は私の家に現われた。みると顔面蒼白である。私の書斎で腕をくんだまま眼をつぶり黙っている。
「どうしたのです」
 とたずねると、やっと口をひらいて事情を説明しはじめた。自分は婚約を祖先、家康公の霊に報告すべく婚約者と水戸徳川家の子孫にあたる従兄をつれて日光に赴いた。霊前で報告し、精進料理をたべ、その夜、そこに泊ったが朝方、隣室で物音がするので眼をさました。すると「月光が閾《しきい》の簾にさしており、その簾ごしに従兄が自分の婚約者を犯している影が見えた」。そこで自分は黙ったまま、朝をまち一番電車で帰京したのである——と、こう言うのである。
「だから、この婚約は俺は破棄します」
 今、考えると、何て、まア馬鹿馬鹿しい話を信じたものかと我ながら呆れるし、読者もアホらしくなられるだろう。しかしこの男の嘘のつき方やダマシ方は名人芸的なところがあり、私や村松のみならず、紹介状を書いたY氏や、その他二、三人の文士もコロリとダマされているぐらいである。だから私は本気でその話を聞き、聞いているうちにムラムラと腹がたってきた。
「何だと」と私は怒鳴った。「松平か、徳川か知らないが、あんたは自分の婚約者が犯されているのを黙って見ているような男か。なぜ婚約者のためにその時戦わないんだ。しかもそれで彼女との婚約を破棄するとは何だ。帰れ。この野郎」
 平生、私は怒鳴ったりすることはほとんどない。その私が大声をあげたのは余程、立腹したからにちがいない。その私の顔を彼はジーッと見ていた。そしてうすら笑いを浮べ、ただ一言、こう言った。
「庶民の感覚は、どうも俺には理解できんなア」
 こうして私のところには来なくなったこの青年は、私より寛大な村松の家に足しげく通いはじめた。今日は自分の師匠である石川淳氏のところに行ってきたとか、小林秀雄氏とこんな話をしてきたとか、出鱈目《でたらめ》を相変らず言っていたのである。
 親切にも村松はこの男の原稿を某出版社に紹介してやる約束をした。そしてそのために石川淳氏のところに相談にいったところ、石川氏はそんな男は知らぬと言う。
 びっくりした村松剛は帰り道、東大仏文の名簿をしらべてみた。松平などという名はない。海軍兵学校の名簿にもその名はみつからない。さすがの剛も仰天し、憤然として我が家に戻ると、今日も、この青年が遊びにきて彼を待っていた。
「村松さん。今度、俺の伯父がカナダ大使になってね。カナダに来い来いと言うんだ」
 例によって例のごとき出鱈目を言う。村松は相手に言わせるまで言わせておき、人をダマすのもいい加減にしろと言った。青年はまたジーッと村松の顔をみて呟いた。
「こういう世の中だから、嘘でもつかねば面白くねえや」
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