「よせ。よさんか」
「そうかね」
「助けてくれッ。お願いします」
「そうかね」
そこで初めて阿川はアクセルを少しゆるめた。
「じゃあ、お前、レストランMで奢《おご》るか」
Mというレストランは巴里《パリ》の有名な料理屋の出店で、料理はともかく値段がベラ棒に張ると聞いている。そこで自分に奢れと阿川は言うのである。私はしばし、ためらった。
ためらっている私を見ると、阿川はふたたびアクセルを強くふんだ。眼前の道、両側の林は逆まく濁流のように流れはじめた。クルクルクルクル、眼がまわる。
「奢るのか。奢らないのか。イエスか。ノーか」
「イエス、イエス」
「俺のほかに、女房もつれていくがいいか」
「か、かまわん」
「息子もつれていくがいいか」
「いい。いい」
「娘もつれていくがいいか」
「いい。いい」
「赤ん坊もつれていくが、いいか」
「いい、いい」
「メニューを見て、食べるものを選ぶのは俺の家族だが、いいか」
「イエス、イエス」
車の速度がやっと元に戻った時、私は頭がくらくらとして物もしばし言えなかった。私が絶対に自動車運転を習おうと心に誓ったのはその時である。
一週間後、阿川は奥さんをつれて、しょんぼり料理店Mで待っている私の前にあらわれた。そして食うこと、食うこと。夫婦してパクパク、パクパク、食べちらかしたのである。
おかげで私の息子はそのあとにあった運動会で運動靴も買ってもらえず、裸足で走らねばならなかった。