私は舞台の人であれ、映画の役者であれ俳優ときくとはなはだしい好奇心と興味を今でもおぼえる。自分でもその理由がよくわからない。それは中学生の頃、教師や親にかくれて西宮の敷島劇場という映画館に足しげく通い、今は亡き桑野通子に胸ときめかし、そのブロマイドを買ったり、嵐寛寿郎に傾倒する余り、長い間その顔をまね唇をゆがめて物を言った時代から今日まで続いているのである。恥ずかしい話だが今日でも私は吉永小百合ファンクラブの一会員である。おそらく吉永さんは私が彼女のファンクラブの会員だとは知らないだろうが、会員番号は四三〇八。会員になるとサユリ手帖という真白な手帖やブロマイドをくれるほか、『さゆり』という会報を送ってくれる。
この『さゆり』という会報には涙ぐましいファンの手紙が掲載されているが、私はそこを読むのがはなはだ楽しい。紅白歌合戦に吉永さんが洩れた時などは、この欄には憤激するファンの手紙がずらりと並んで、たとえば、
「昨日、紅白歌合戦の出場者が発表されましたが、その中に吉永小百合さんの名前がありません。私はこのニュースをきいた時、畳に伏して泣き出してしまいました。自分の事以上にくやしくて夕飯も喉に通らず、涙があとからあとから流れました」
などという手紙を読むと嬉しくなるのである。こういうファンをミーハーというかもしれぬが、私はミーハーの女の子のほうが、なまじ教養あるようなことを言う女性たちよりはるかに好きである。
そんな私だから、もう十一年前になるけれども芥川賞をもらった直後、某週刊誌から早速、有馬さんと対談してほしいという話を受けた時、受賞第一作の仕事でフウフウ言っていたにかかわらず、二つ返事で引受けたのだった。なにしろ私はそのころ、宝塚から映画入りをした有馬稲子さんの映画をかなり近所の映画館でみていたからである。