だが私は会見以前に二つのことで山本さんに感心していた。一つはずっと昔、ある場所で私は山本さんを見た。彼女はお母さんと一緒だった。十メートルぐらい私と彼女は離れて歩いていたのだが、外に出るため彼女は、硝子扉をあけ、ふと十メートルうしろに私が歩いてくるのに気がつくと、そのまま扉をじっと手でもったまま私の来るのを待ってくれたのである。我々は知合いではなかったし、向うにとって私はたんなる通行人にすぎなかった。私はその時、なんと礼儀正しい人だろうと思ったのである。
もう一つは入院中のころである。私の入院した病院には一ヵ月前、彼女の婚約者である古屋丈晴氏が胸の大手術をうけて退院したばかりだった。好奇心のつよい私は看護婦や古い患者に色々きいてみると、山本さんは撮影でおそくなっても、夜おそくバラの花をもって婚約者の見舞にそっと来たそうである。しかし私はこれはどんな女でも惚れた男のためならすることであって当然だと思う。しかし古屋氏が手術をうけるべきか迷っていた時、彼女は手紙を書いた。あなたの足にデキモノができていればあなたは切るでしょう。あなたの胸に病巣があれば、あなたは男らしく切るべきです。そういう文面だったそうで、古屋氏はそれを入院仲間たちにみせ「決心がついた」と言っていたそうである。私はこの話をきき何だか感動した。
しかし山本富士子=「清く正しく美しく」、正月元旦という気持はどこかにあったらしく、会うとたずねてみた。
「貴方の御主人は貴方をブン撲《なぐ》りますか」
山本さんは愕然として叫んだ。
「まア、タケハルさんはそんなことはしませんわ」
それからしばらく黙っていたが、
「遠藤さんは、奥さまをお撲りになりますの」
「もちろんです」私は照れて答えた。「今日もここに来る前、階段から蹴落してやりました」
その時の彼女の顔は忘れられない。清く正しく美しい彼女の顔が曇り、この人の、可哀相な奥さん、こんな野蛮な御主人もってというように私を非難する表情が一瞬だが浮んだのである。それは私の待っていた素顔だった。いいな、この人は、と私はその時思った。
「ぼくはあなたの名前が気にくわん」
「まア、どうしてですの」
「十たす十は二十みたいな気がする。山本——これだけだって大日本という感じなのにわざわざ富士子とまでつけなくていいじゃありませんか。何から何まで完全なのがケシからんですなア」
「だって本名なんですもの」
「タテからみてもヨコからみても完全というのは良くない。すべてが清く正しく美しくとはけしからん。あなたは完全すぎる。何かコンプレックスがないのですか」
「あたしだって……コンプレックス、ありますわ」
「それは何ですか」
「言えませんわ」
「御主人にはおっしゃいましたか」
「はい、それは申しました」
読者は私の質問を無礼とお思いになるだろう。だがそんな無礼な私の質問にも素直に一生懸命、答える山本さんを好きにならぬ者があろうか。近く赤ちゃんがお生れになるそうだが、山本富士子さんの赤ちゃんなら桃太郎のように気はやさしくて力持ちだろう。御安産を祈る。