柳町の坂をのぼりきったところ、そこに近藤の江戸道場がある。
このあたりは、緑が多い。
ずっとむこうには水戸殿の屋敷(いまの後楽園)の森がみえ、まわりには小旗本の屋敷が押しかたまって、背後は伝通院の広大な境内がひろがっている。
町内に、法具屋、花屋など陰気くさい商売が多いのは伝通院と隣接しているからだが、町|なか《ヽヽ》のわりには小鳥も多い。
とくに夕刻、道場の裏あたりは烏《からす》の啼《な》き声がやかましく、このため口のわるい近所の町人は、
烏道場
と、蔭口をたたいている。
歳三が多摩方面からもどってきたのは翌々日の夕刻のことで、名物の烏が、妙に啼きさわいでいた。
(いやな声を出しゃがる)
こんな殺伐な男でも物の好悪《こうお》があるらしく、烏だけは好きではない。
すぐ道場の裏にまわって、井戸端で足をあらっていると、沖田総司がやってきて、
「ばかにごゆっくりだったですねえ」
と、例の調子でからかった。
「………」
歳三は、うつむいて足を洗っている。沖田はその顔をのぞきこむようにして、
「近藤先生は、ご苦労ご苦労、とほめてくださいましたよ」
「なんだと?」
歳三は、白い眼をむけた。
「分倍橋の一件、近藤さんに云ったのか」
「云やしませんよ、まさか」
「じゃ、なにがご苦労だ」
「剣術教授が、さ」
「なにを云ってやがる」
この若者には、かなわない。
「ところで」
沖田は、なおものぞきこんで、
「大変なことが持ちあがったんですよ。御帰府早々びっくりさせちゃわるいが、こいつだけは耳に入れとかなくちゃ、いかに才物の土方先生でも、その場にのぞんで、お狼狽《うろたえ》になります」
「なんだ」
歳三は、顔を洗いはじめた。沖田はその頸《くび》すじをちょっとみて、
「ひどい旅塵《ほこり》だ」
「なんだ、お前、大変というのは」
「まず、顔をお洗いなさいよ」
「云え」
ざぶっ、と顔を桶《おけ》に浸《つ》けた。
「実はほんのさっき、さる流儀の田舎剣客が一手御教授お願いつかまつる、とやってきたんですがね」
「なんだ、他流試合か」
めずらしくもない。
近頃の流行だ。
腕に自信のある連中が、江戸の二流、三流どころの小道場をねらってやってきては、いくらかのわらじ銭をせしめてゆくのである。
天然理心流近藤道場では、そういう場合は師範代の土方、沖田が立ちあうことになっていた。
強弱の順でいえば、この道場は妙なことに若先生の近藤がわりあい不器用で、沖田総司がもっとも強く、土方歳三、近藤勇、という順になる(むろん、これは竹刀《しない》のばあいで、真剣を使えば、この順序がどうなるか、やってみなければわからない)。
竹刀の場合で、
といったが、実をいうと天然理心流というのは野暮ったい喧嘩剣法で、近藤などは、一つ覚えのように、
「一にも気組《きぐみ》、二にも気組。気組で押してゆけば、真剣、木刀ならかならず当流は勝つ」
といっていた。
が、道場の試合はよわい。
剣術の教授法は、この幕末、未曾有《みぞう》の進歩をとげた。
教育者としては、古い時代の塚原卜伝、伊藤一刀斎、宮本武蔵などは、幕末の大道場の経営者千葉周作、斎藤弥九郎、桃井春蔵《もものいしゆんぞう》あたりとくらべれば、問題にならぬほど素朴単純である。
ことに千葉周作などは、きわめてすぐれた分析的な頭脳をもち、今日生きていても、そのまま、教育大学の学長がつとまるはずの男で、古流の剣術にありがちな神秘的表現をいっさいやめ、力学的な合理性の面から諸流儀を検討して、不要のものを取り除《の》け、教えるためのことばも、誇大不可思議な用語をやめ、たれでもわかる論理的なことばをつかった。
このため、北辰一刀流の神田お玉ケ池、桶町の両道場をあわせれば、数千の剣術書生が、その門に蝟集《いしゆう》している(千葉の玄武館は、他の塾で三年かかる業はここでは一年にして達し、五年の術は三年にして功成る、という評判があった)。
が、天然理心流はちがう。
これは、近藤の好きな、
「気組」
である。
だから、面籠手《めんこて》をつけての道場での竹刀試合は、どうしても当世流儀に劣る。
自然、
他流試合はにが手で、すこし強そうなのがやってくると、あわてて他流道場に使いを走らせて、代人を借りてくる。
あらかじめ、そういう場合の用意に、神道無念流の斎藤弥九郎の道場と黙契してあって、ここから人がきた。これは当世流儀で、江戸三大道場の一つといわれるほどだから、多士済々《たしせいせい》である。
この道場は最初飯田町にあって、人を借りるのにえらく都合がよかったが、その後、火災に遭《あ》ったために遠い三番町に移った。
だから、いざ、というときは近藤道場から小者が走り出て十数丁駈けどおしで三番町へ走りこみ、剣士を駕籠《かご》で迎えてくることになっている。むろん、謝礼は出す。
「三番町へ」
と、歳三は顔をあげて、
「迎えにやったのかえ?」
「近藤《せんせい》が」
と、沖田が親指を立て、
「そうしろ、土方や沖田では無理らしい、とおっしゃるもんですからね、走らせましたよ。もっとも試合は、あすの昼前の四ツですから、まだゆっくりしたものです」
「剣客《そいつ》は、それまでこの近所に泊まっているのか」
「宿所は隠していますがね、いまごろはこの近所のどこかで、おなじ烏の声をききながら酒でも飲んでいるはずです」
「たれだ、それは」
「驚いちゃいけませんよ」
沖田は、くすくすわらって、
「流儀は、甲源一刀流、道場は、南多摩八王子の比留間道場です」
といった。
歳三は、顔を洗う手をとめた。先夜、府中宿のはずれの分倍橋で大喧嘩したばかりの相手ではないか。
「江戸まで乗り込んできやがったのか」
「ええ」
「誰だ、名は」
「七里研之助。——」
といってから、沖田は飛びのいた。歳三が、
——馬鹿野郎。
といいざま、桶の水をぶっかけたからである。
「なぜ、いままでだまっていた」
「黙ってやしませんよ。土方さんの戻りのおそいのがいけないんだ。私はちゃんと、こうしてお帰りを待ちかねて注進におよんでいるんですよ」
「よし、よし」
歳三は、ほかのことを考えている。
「総司、たしかだな、近藤さんは、われわれが分倍橋で七里《あいつ》と斬《や》りあったこと、夢にも知ってはいまいな」
「立派なもんですよ、先生は」
「なにが立派だ」
「そんな小事はご存じない。土方さんなんかとちがって、やはり大物です」
「なにを云やがる」
歳三は、ちょっと考えて、
「七里のほうも、口をぬぐって知らぬ顔で、いるのか」
「脛《すね》に傷、はお互いですからね、七里は云やしません。それよりも、七里にすれば道場での勝負で堂々と勝ちを制し、それを多摩方面で云い触らして、天然理心流の声望を一挙に下げようという肚《はら》でしょう」
「おれは、立ちあわないよ」
竹刀で、公式にやるとなると、歳三は絶対勝ちをとる、という自信がない。七里がこわい、というのではなく、天然理心流が竹刀試合にむかない、といったほうがいいだろう。
「そのかわり、分倍橋のつづきなら、もう一度やってもいい」
「私はご免蒙《めんこうむ》りますよ」
沖田は、笑いながら行ってしまった。
夕食は、近藤がぜひ一緒に、というので、部屋でとった。
給仕は近藤の女房の|おつ《ヽヽ》ね《ヽ》がしてくれるのだが、無口で陰気で、この女が給仕をすると、どんな珍味でもまずくなるような気がした。
歳三は食いものにうるさいほうで、味付けのまずいものなどは、一箸つけただけでやめてしまう。
ところが|おつ《ヽヽ》ね《ヽ》は料理がからっきし下手なのである。だから近藤家で食事をするよりも、近所の折助《おりすけ》相手の仕出し屋から好きな惣菜《そうざい》をえらんで取りよせるほうがずっと好きなのだが、近藤にはそういう歳三の気持などはわからない。
今夜の煮付けは見たこともない妙な雑魚《ざこ》で骨ばかり張っている。一箸つけると舌が縮むほど辛いのだが、近藤は平気で、
「食え、食え」
とさかんに食べている。めしは、麦が四分に古米が六分。
気のきいた職人なら吐きだしてしまうようなめしを、近藤は六杯も七杯も食う。下|あご《ヽヽ》が異様に大きいから、少々の小骨ぐらいなら噛みくだいてしまう。しかも|あご《ヽヽ》が張っているせいか、物を食っている様子は、顔中で粉砕しているような感じだった。
「歳、どうした。腹でもこわしたのか」
「いや」
渋い顔で、
「頂戴している。うまい」
「そうだろう。|おつ《ヽヽ》ね《ヽ》もちかごろは、だいぶ腕をあげているはずだ。なあ、|おつ《ヽヽ》ね《ヽ》」
(え?)
という表情で、|おつ《ヽヽ》ね《ヽ》は眼をあげた。
「聞いたか、歳が、ああほめている。この男がほめるほどなら、お前の調理もたいしたものだ」
(なにをいってやがる。いい男だが、舌だけは牛の皮で作ったような舌をもっている)
そう思って近藤の顔をまじまじ見ていると不意にその顔が、
「聞いたか、総司に」
「なにを?」
歳三は、とぼけてみせた。
「いやね、今日の午後、八王子宿から変なのが来てな、例の七里研之助てやつだ。厭なやつだが、腕は立つ」
「ふむ」
「例の六車宗伯のことがあるから、お前さんに何か云いがかりをつけにきたのかと思って応対すると、そうじゃない。試合をしたいというのだ」
「そのこと、聞いた」
「そうか」
近藤はやっと飯を食いおさめて、その癖で食後の小用に立った。
「御馳走でした」
歳三が|おつ《ヽヽ》ね《ヽ》に一礼すると、|おつ《ヽヽ》ね《ヽ》は食器を片づけながら、
——いいえ。
と、咽喉奥で答える。それだけである。歳三は、どうもこの女房がにがてだった。
やがて近藤が席にもどってきた。座につくなり、手にもった手紙をひらいて、
「いま、三番町から利八(小者)がもどってきた。三番町(斎藤道場)では、あすのこと、引きうけてくれたらしい」
「たれが来るのだろう」
「今度、あたらしく塾頭になった男だ。若いが、滅法できるらしい」
「名前は?」
「桂小五郎、というようだな」
「………」
歳三も近藤も、聞いたことがない。
もっとも桂の剣名は、すでに、江戸の筋の通った道場では鳴りひびいたものだったが、この柳町の田舎くさい小道場までは、まだ聞こえて来なかった。場末の悲しさである。
(斎藤道場の塾頭ほどにもなれば、華やかなものだろうな)
歳三は、おもった。うらやむわけではないが、おなじ塾頭という名はついていても、なんとはなく、自分がうらぶれた感じに思えてくる。
(男は、やはり、背景と門地だ)
そんなことを思いながら、道場の寝所に引きとると、沖田総司が薄暗い行燈のかげで下をむいていた。みると、下着を裏返して、蚤《のみ》をとっている。
「やめろ、総司」
腹だたしくなった。蚤ぐらいは歳三もとるが、この場合、沖田の姿勢がいかにもこの三流道場にふさわしすぎて、やりきれない。
「どうしたんです」
見あげた沖田の顔が、びっくりするほど明るい。歳三は、その明るさに救われたような気になって、
「あす、ここへ小遣い稼ぎに来る男は、桂小五郎という男だそうだ。聞いたことがあるか」
「知っていますよ」
沖田は、やはり物識りだった。
「永倉新八(近藤道場の食客。桂と同流別門の神道無念流の免許皆伝)さんから聞いたことがあります。敏捷《びんしよう》鬼神のごとしという剣で、かつて桃井道場で大《おお》試合《よせ》があったとき、諸流の剣客をほとんど薙《な》ぎ倒して、最後に北辰一刀流桶町千葉の塾頭坂本|竜馬《りようま》に突きを入れられて退場したが、おそらく疲れていたのだ、というはなしです。藩は、長州ですよ」
「長州か」
べつに、その藩名をきいても、歳三にはなんの感興もおこらない。長州藩自体まだ平凡な藩で、数年後に政情を混乱させた急進的な尊攘運動は、まだおこっていないのである。第一、歳三自身が、新選組副長ではない。
「長州では、どんな身分だ」
「桂家はもともと百五十石の家柄だったそうですが、相続の都合で九十石になっているらしい。が、あの藩では歴とした上士《じようし》です。学問のほうでも非常な俊才で、藩公のお覚えもめでたい、ということです。まあ、なにもかもめぐまれた俊髦《しゆんぼう》、という人物でしょう」
「ふむ」
歳三は、気に入らない。
普通の人間なら、見たこともない相手のうわさで、
——師にも、主君にも、門地にも、才能にも、すべての点でめぐまれている。
と聞けば、……なるほどわれわれとはちがう、と苦笑すればそれで仕舞いのところだが、歳三の心は、多少屈折している。恵まれすぎている、というそれ自体が気に入らなかった。
「総司、いやにお前、ほめるようだが」
「ほめてやしませんよ。ただ永倉さんからきいただけのことをいっているだけです」
「いや、ほめている。が、総司、お前だって浪人の子に生まれずに、大藩の上士の家にうまれていれば、筋目どおりの教育を受け、筋目どおりの立派な人間になって、主君のおぼえもめでたく、同輩からは立てられるようになっている。人間、生れがちがえば、光りかたもちがってくるものだ」
「………」
「そうだろう」
むろん、歳三は、総司よりもむしろ、自分にひきかえて云っている。
「そうかなあ」
沖田には、そんなことは、からっきし興味がなさそうだった。
その翌朝。——
定刻、七里研之助はやってきた。
相変らず顔の贅肉が煤《すす》よごれた感じだが、眼だけは凄味がさすほどにするどい。
その眼が、にこにこ笑っている。その眼のまま道場の玄関に立った。
単身である。門人も連れない。
むしろ、近藤道場の取次ぎの門人のほうが狼狽したほどの放胆さだった。
「近藤先生にお取次ぎねがいたい。昨日|御意《ぎよい》を得ました八王子の七里研之助でござる」
「どうぞ」
すでに、近藤は道場で待っている。
その横に、塾頭の土方歳三、免許皆伝者の沖田総司、目録の井上源三郎、客分の原田左之助、同永倉新八などが居ならんでいる。
「これは」
七里研之助は、薄ぎたない木綿の紋服に木綿|縞地《しまじ》の馬乗り袴をはいて、いかにも武州上州の田舎剣客といったいでたちである。
一通りのあいさつがおわってから、七里は微笑を歳三の方角へまわして、
「これは土方先生、先日は妙なところでお会いしましたな」
「その節は。——」
歳三は、こわい顔で、軽く一礼した。
「ああ、その節は、お互い、ご無礼なことでありました。おお、そこにおられるのは、沖田先生でござるな。お懐《なつか》しいことだ」
人を食った男である。
やがて、ひとり、取次ぎにも案内されずに(むろんそういう扱いを避けたのだろう、だが)、いかにも当道場の門人の端《はし》、という体作《ていづく》りで、むこうの入口から入ってきた男があった。
歳三は、その男をはじめてみた。
桂小五郎である。
男は、ゆったりと末座にすわった。