「——土方君か」
局長新見錦は、眉をけわしくした。
不審である。平素さほど親しくもない副長の土方歳三が、なぜここへきたのか。
「新見先生。御酒興をさまたげるようですが、邦家のため、御決断を乞いにきました」
「決断を?」
「そうです」
歳三は、あくまでも無表情である。
「私に?」
「むろん」
「土方君、君は副長職だ。すこしあわててはいまいか。新選組には、局長職をとる者が三人いる。芹沢先生、近藤君、それに私。軽微な用ならいずれの局長に相談してもらってもかまわない。わざわざ、こういう場所へ来なくてもよいではないか」
「いや、右御両方には相談ずみです」
半ば、うそである。しかしいまごろ屯営では、近藤が、左右に腹心の猛者《もさ》をならばせて、芹沢と膝詰め談判をしているはずだ。だから、芹沢への相談ずみというのは、半分、うそではない。
「とにかく」
歳三はいった。
「この件は、新選組局長であるお三方《さんかた》の御諒承が要ります」
「ああ、それなら私はかまわない。君たちにまかせておこう」
「たしかに、私におまかせねがえますか」
「ああ」
新見錦は、面倒そうに手をふって、冷えた盃をとりあげた。その手もとを、歳三はじっとみながら、
「用と申すのは、ほかでもない。新見先生にこの場で、切腹していただきます」
「えっ——」
手を、佩刀《はいとう》に走らせた。
「お待ちなさい」
歳三は、手をあげた。
「たったいま、それを御諒承いただいた。武士に二言はないはずです」
「ひ、土方君」
「心得ています。介錯《かいしやく》の太刀はこの土方歳三がとります」
「な、なぜ、私が。——」
「御未練でしょう。新見錦先生といえば、かつては水戸の志士として江戸では鳴りひびいたお名前だ。どうか、武士らしく」
「理由をきいているのだ」
「それは、お任せねがったはずです。芹沢先生、近藤先生、そして新見錦先生、この三局長の御裁断をたったいま得た。その三局長裁断に従い、水戸脱藩浪人新見錦は、押し盗み、金品強請を働いたかどにより切腹おおせつけられます」
「待て、屯営へもどる」
「どこの屯営です」
「知れている。壬生《みぶ》の」
「あなたはまだ新選組局長のつもりでいるのですか。すでにそれは剥奪《はくだつ》かつ除籍されている。それを裁断したのは、さっきまでここにいた局長新見錦だ。いまここにいるそれに似た人物は、すでに局長ではない。不逞《ふてい》の素浪人新見錦。——」
「お、おのれ」
「斬られたいか、新見錦。私は武士らしく切腹させようとしているのだ。その御温情は、会津中将様から出ている」
「うぬっ」
膝を立てるや、抜き打ちを掛けた。酔っている。手もとが狂った。
それを歳三は、持っていた赤沢守人の佩刀で鞘ぐるみ、はらった。黒塗りの鞘が割れ、抜き身が出た。
「この刀は」
歳三は、身構えながら、
「あんたが殺した赤沢守人の差料《さしりよう》だった。この刀で介錯申しあげる」
云いおわったとき、すでに、沖田総司が背後に来ている。
同時に隣室の唐紙がからりとひらき、斎藤一、原田左之助、永倉新八が、むっつりと顔を出した。
「刀を、お捨てなさい」
と、歳三がいった。
新見錦は、真蒼な顔になり、膝がふるえているのがありありとみえたが、刀だけは捨てない。
そのとき、はっと、新見の背後に人の気配が動き、ばたばたと駈け出そうとした。
ふりかえりざま、新見は横にはらってその人物を斬った。
血がとび、手首がばさりと落ちた。|★[#てへんに堂]《どう》と倒れ、血の海のなかで、狂ったようにわめきだした。新見の馴染《なじみ》の妓《おんな》である。逃げだそうとしたのを、新見が見あやまって斬ってしまったのだ。
妓は、のたうちながら新見を罵《ののし》った。形相は、鬼女に似ている。
新見は、あきらかに錯乱した。いきなり刀を逆手《さかて》にもつなり、妓の胸へ突きとおした。同時に、どさりと妓の体の上へ尻餅をついた。妓の死体が、びくりと動いた。
「土方、みろ」
新見も、新選組の局長をつとめるほどの男である。ゆっくりと懐ろから懐紙をとりだし、それを刀身に巻いた。
「介錯します」
歳三は、背後にまわった。新見は、腹に突き立てようとした。が、容易に手がうごかず、畳の上の一点をぎらぎら光る眼で、見つめている。
「原田君、手伝って差しあげなさい」
「はっ」
原田左之助も、故郷《くに》の伊予松山にいたころささいなことで、切らでもの腹を切りかけたことのある男だ。いまでも、腹三寸ほどにわたって、傷口の縫いあとがある。
「御免」
背後から抱きつき、持前の大力で新見の両コブシを上からにぎり、微動だにさせず、
「新見先生、こう致します」
ぐさりと突きたてた。新見の上体が一たん反り、すぐ前かがみになった。その瞬間、歳三の介錯刀が原田の頭上を走った。前に、首が落ちた。
新見は、死んだ。同時に、芹沢鴨の勢力は、半減した。城でいえば、二の丸が陥ちて、本丸のみが残ったことになる。
その芹沢は、歳三が新見のもとに赴いたあと、壬生屯営の一室で近藤の士道第一主義の硬論に攻めたてられ、いったんは新見の処罰を諒承するところまで追いつめられていた。
「わかった、わかった」
芹沢は、この小うるさい議論を早くうちきりたい。この夜、島原へ押し出すつもりでいたのだ。
が、近藤がなおも食いさがって離さなかった。
「芹沢先生、これは大事なことです。念のため申しておきますが、新選組を支配しているのは、何者だとお思いです」
と、近藤はいった。近藤の理屈ではなく、歳三が事前に教えた理屈である。
(何をいうのか)
という顔を芹沢はした。当然、筆頭局長である自分ではないか。
「近藤君、君は正気かね」
「正気です」
「では、いってみたまえ」
「この隊を支配しているのは、芹沢先生でもなく、新見君でもなく、むろん、不肖近藤でもありません。五体を持った人間は、たれもこの隊の支配者ではない」
「では、何かね」
「士道です」
と近藤はいった。士道に照鑑して愧《は》ずるなき者のみ隊士たりうる。士道に悖《もと》る者は、すなわち死。
そう、近藤はいった。
「でなければ、諸国から参集している慷慨《こうがい》血気の剣客をまとめて、皇城下の一勢力にすることはできません」
「では、きくがね」
芹沢は、冷笑をうかべた。
「士道、士道というが、近藤君のいう士道とはどういうものだ」
「といいますと?」
「あんたは多摩の百姓の出だから知るまいが、水戸藩にも士道がある。われわれは幼少のころから叩きこまれたものだ。長州藩にもある。薩摩藩にも、会津藩にも、その他の諸藩にもある。むろんそれぞれ藩風によって、すこしずつちがうが、要は、士たる者は主君のために死ぬということだ。これが士道というものだ。新選組の主君とは、たれのことです」
「新選組の主君——」
「そう。新選組の主君は?」
「士道です」
「わからないんだな。いまも云ったとおり、主君を離れて士道などというものはないのだ。主君のない新選組は、なににむかって士道を厳しくする」
芹沢は、論客の多い水戸藩の出身である。疎剛とはいえ、議論の仕方を知っている。
「どうだ、近藤君」
近藤はつまって沈黙した。
(百姓あがりの武士め)
芹沢に、そんな表情がある。
夜、歳三が帰ってきて、芹沢、近藤の両局長に、新見錦切腹のことを報告した。これを聞いた芹沢の顔中の血管が、みるみる怒張した。
「や、やったのか」
芹沢は、議論だけのことだ、と|たか《ヽヽ》をくくっていた。しかし、眼の前にいる武州南多摩の百姓剣客は、議論倒れの水戸人とはまるでちがう。平然とそれをやってのけたではないか。芹沢は、いま、はじめて見る人種に出会《でく》わしたような思いがした。芹沢だけでなく、近藤、土方などのような武士は、日本武士はじまって、おそらくないであろう。
芹沢は、席を蹴って立った。
やがて、水戸以来の輩下である三人の隊士を従えて入ってきた。
助勤 野口健司
助勤 平山五郎
助勤 平間重助
いずれも、水戸脱藩で、流儀も芹沢とおなじ神道無念流の同流の徒である。
三人は、芹沢を取りまいて着座した。険悪な表情である。
平山五郎などは、刀の鯉口を切っている。あごをあげ、首を、心もち左へ落していた。この男が、人を斬るときの癖であった。「目っかちの五郎」といわれた。左眼が無かった。火傷《やけど》でつぶれている。癖はそのせいである。
芹沢がいった。
「近藤君、土方君。もう一度、新見錦切腹の理由をうけたまわろう」
近藤は、押しだまっている。
歳三が微笑した。
「士道不覚悟」
歳三も近藤も、芹沢のいうようにいかなる藩にも属したことがない。それだけに、この二人は、武士というものについて、鮮烈な理想像をもっている。三百年、怠惰と狎《な》れあいの生活を世襲してきた幕臣や諸藩の藩士とはちがい、
「武士」
という語感にういういしさをもっている。
だけではない。
かれらは、武州多摩の出である。三多摩は天領(幕府領)の地であり、三郡ことごとく百姓である。が、戦国以前は、源平時代にさかのぼるまでのあいだ、この地は、天下に強剛を誇った坂東武者の輩出地であった。自然この二人の士道の理想像は、坂東の古武士であった。
懦弱《だじやく》な江戸時代の武士ではない。
「芹沢先生、おわかりになりませんかな」
歳三が、いった。
「新見先生は、士道に照鑑してはなはだ不覚悟であられた。それが、切腹の唯一の理由です。同時に」
「同時に?」
「芹沢先生でさえ、士道に悖られるならば、むろん、切腹、しからずんば断首」
「なに。——」
平山が立ちあがった。
「平山君」
歳三は、ゆっくり手をあげた。
「あんたは、隊内で、戦さをする気かね。私がここで手をたたけば、われわれの江戸以来の同志が、たちどころになだれ込む」
芹沢一派は、引きあげた。
その夜からかれらは復仇を企てるべきだったが、別の道をえらんだ。酒色に沈湎《ちんめん》した。芹沢の乱行は、以前よりひどくなった。
新選組局長芹沢は、京においてはまるで万能の王であった。路上で、町人が無礼を働いたといっては、斬った。平隊士の情婦《おんな》に惚れ、邪魔だ、というたった一つの理由で、その隊士(佐々木愛次郎)を誘殺した。かねがね四条堀川の呉服屋《ふとものや》菱屋で呉服を取りよせていたが一文も払わぬため、さいそくを受けていた。督促の使いは番頭のときもあったが、菱屋の妾がくることもあった。お梅といった。これを手籠《てご》めにし、借金は払わぬばかりか、お梅と屯営で、同棲同然の荒淫な生活をし、堀川界隈の町家の評判にまでなった。
歳三は、だまっている。近藤も、だまっている。が、計画は着実に進んでいた。討手はすでに決定していた。
近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎のわずか四人。
永倉新八、藤堂平助は、選ばれていなかった。この二人は江戸以来の同志で、近藤系の機密にはことごとく参画してきたが、歳三は、なお用心した。かれらは天然理心流ではない。
藤堂平助は北辰一刀流であり、永倉新八は神道無念流である。かつては江戸|小《こ》日向《びなた》台《だい》の近藤道場での食客だったために、近藤の旗本格ではあったが、いわば|三河《ヽヽ》以来《ヽヽ》の《ヽ》旗本《ヽヽ》ではなかった。考慮のうえ、はずされた。
実施は、多摩党でやる。あの貧乏道場をやりくりしてきた天然理心流の四人の手で。歳三にとっては、この仲間だけが信頼できた。
「しかし、すこし、心もとないな」
と近藤はいった。やるからには、一挙に芹沢派の全員を殺戮《さつりく》したい。小人数では、討ちもらすおそれがあった。
「歳、どうだ」
近藤はそういって、手習草紙に、
「左」
という文字を書いた。
原田左之助である。
「なるほど、これはいい」
歳三は、うなずいた。猛犬のような男だが、それだけに、近藤への随順は、動物的なものがあった。
近藤は、歳三同席の上で、原田左之助をよんだ。歳三の口からそれとなく、このごろの芹沢をどう思っているかと、訊きだした。
「快男児ですな」
原田は、からからと笑った。
近藤は、意外な顔をした。考えてみると原田は芹沢と同質の人間である。ただちがう点は、原田は松山藩の一季半季の傭《やと》い中間《ちゆうげん》という卑賤から身をおこし、少年のころからつらい目に逢ってきた男だけに、どこか、涙もろい。
「原田君、うちわっていうが、私は、一人で芹沢鴨を斬る」
と、近藤がいった。
さすがに、原田もおどろいた。
「先生お一人で?」
「そうだ。しかしここにいる土方君は反対している。自分も加わるという」
「いかん」
原田は、単純だ。
「土方さんのいうとおりです。芹沢局長お一人ではありませんぞ。第一、平山がいる。野口、平間という悪達者もいます。万一、先生にお怪我があっては、新選組はどうなります。——土方さん」
「ふむ?」
「ご説得ください。近藤先生は、ご自分お一人の命だとお考えのようです」
「わかった」
歳三はこの男にしてはめずらしく明るい微笑をうかべた。
「原田君、やろう」
「やりますとも」
筆頭局長を斬る、という是非善悪の論議などは、この男の頭にはない。ひょっとすると歳三が考えている新選組の「士道」とは、例を求めれば原田左之助のような男かもしれなかった。
原田は、口がかたい。
|その《ヽヽ》日《ヽ》が来るまで、この一件については、近藤、土方とも話題にしなかった。
文久三年九月十八日は、日没後、雨。
辰ノ|下刻《げこく》から、強風をまじえた土砂降りになった。鴨川|荒神口《こうじんぐち》の仮橋が流出しているからよほどの豪雨だったのだろう。
芹沢は、夜半島原から酔って帰営し、部屋で待っていたお梅と同衾《どうきん》した。双方、裸形《らぎよう》で交接し、そのまま寝入った。
島原へ同行していた平山、平間も、それぞれ別室で寝入った。芹沢派の宿舎は、このころ、八木源之丞屋敷になっていた。
道一つ隔てて、近藤派の宿舎前川荘司屋敷がある。
午前零時半ごろ、原田左之助を加えた天然理心流系五人が、突風のように八木源之丞屋敷を襲った。
お梅即死。
芹沢への初太刀は沖田、起きあがろうとしたところを歳三が二の太刀を入れ、それでもなお縁側へころび出て文机《ふづくえ》でつまずいたところを、近藤の虎徹が、まっすぐに胸を突きおろした。
平山五郎は、島原の娼妓吉栄と同衾していたが、踏みこんだ原田左之助が、まず、吉栄の枕を蹴った。
「逃げろ」
原田は、この妓《おんな》と寝たことがある。吉栄はわっと叫んで、襖を倒してころび出た。
驚いて目をさました平山は、すばやく這って佩刀に手をのばした。
そこを斬った。
肩胛骨《かいがらぼね》にあたって、十分に斬れない。原田は、暗闇のなかで、放胆にも、身をのりだしてのぞきこんだ。
あっ、と平山が鎌首をたてた。
そこを撃った。首が、床の間まで飛んで、ころげた。
平間重助は逃亡。
野口健司は不在。
この年の暮、二十八日に野口は、「士道不覚悟」で切腹。芹沢派は潰滅した。