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落語百選108

时间: 2019-09-15    进入日语论坛
核心提示:妾馬《めかうま》女|氏《うじ》なくして玉の輿《こし》に乗る。女の方は器量がいいと、見染められておもわぬ出世をする。それは
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妾馬《めかうま》

女|氏《うじ》なくして玉の輿《こし》に乗る。
女の方は器量がいいと、見染められておもわぬ出世をする。それはいまも昔も変わらない。
男は意気地なくして飴や|※[#「米+巨」、unicode7c94]※[#「米+女」、unicode7c79]《おこし》を売る。
昔は、大名のご本妻に子供(男児)がないと、お世継がなく、家の血統が絶え、お家は断絶……取り潰《つぶ》しという破目になる。そこで、腹は借り物というわけで、子供をつくるための、下様《しもざま》でいう妾《めかけ》を、側室《そばめ》と称してたくさん屋敷に置いた……。というのは表向きで、殿さまのなに[#「なに」に傍点]の都合もあり、適当にお遊びいただいていたほうが、なにかと事がまるく納まったのではないか……と、おもわれる。
 丸の内の赤井御門守《あかいごもんのかみ》という大名、ある日、屋敷への帰り道、駕籠に乗ってわずかな供を従えて町家を通行している折、裏長屋から出てきた十七、八の娘、染めかえしの着物に、細い帯をぐるぐると巻き、手にした味噌漉《みそこし》を前掛けで隠し、路地口に立って頭《つむり》を下げているのが、駕籠の中から目に留まった。
殿さまが扇子で引戸のところを軽く叩《たた》くと、供頭《ともがしら》の侍が駕籠の脇へ近寄って、なにか耳打ちをして、そのまま行列は行ってしまった……。
 一人、家来の者が残って、この裏だというので、長屋の路地へ入って来る。
「あー、これこれ、町人」
「へえ?……ああ、これはどうもお武家さま……なにかご用でございますか?」
「あァ、ちとものをたずねたいが、この中に家守《やもり》がおるか」
「へ?」
「いや、家守はおらんか?」
「え? やもり?……やもりはね、いまいませんが、日が暮れると、あの塀のところへ出てまいります」
「いや、そのようなものではない。この長屋を支配する者を申すのだ。町役《ちようやく》はおらんか、家主《いえぬし》は……」
「あ、家主ですか、やもりッてえなあ、ぷッ、なんだ、大ちげえだ。おい、やもりってのは家主だとよ」
「知ってるよ」
「いやな野郎だなァこん畜生。知ってるなら早く教《おし》えりゃァいいじゃねえか」
「だけど、そう言われてみるとね、やもりかなとおもうんだよ」
「どうして……?」
「こねえだの大風の吹くとき板塀へつかまってた」
「ありゃ倒れそうだから、家主のやつ押えてたんだぜ」
「余計なことを申すな。家主はどこだ?」
「へえ、家主なら……旦那、ご苦労さまでも、もういっぺん外へおいでなすって、右っ角に米屋がございます。その隣が染物屋で、その隣の荒物屋がそうなんですよ。いえ、荒物ったって、碌《ろく》なものはありませんよ。そのくせ他店《わき》より高《たけ》えときてるんで、商いといったところが店子のものとか、町内のものが義理にしかたなく買うんですよ。自身番へ出て、町役とかなんとかいわれておりまして、たいした役に立つじじィでもありませんが、でもまあ、高慢な面をしております」
「そんなことはどうでもよい。それが差配をいたす者であるな」
「へえ、さようで、角から三軒目、二間半の間口で、草箒《くさぼうき》が表につっ立って、束子《たわし》だの蝋燭《ろうそく》だの線香だの、そんなものが並べてあります。二階の窓の外に三尺ばかりの物干みたいなものを作ってあって、上に植木が並べてあります。この爺さん植木が好きで……たって、縁日に行って植木屋をむやみにひん値切[#「ひん値切」に傍点]っちゃあ、安い物ばかり買うもんですから、根の無《ね》え植木やなんか押ッつけられて……、けちな松の木なんぞが摺《す》り鉢の鉢巻したやつに植わってます」
「なんだ、鉢巻というのは?」
「なに、鉢にひびが入ってるんで、箍《たが》がかかっていますんで……へえ、その植木棚が腐っているから危のうございますから、お気をつけて……お会いになったら…家賃を上げやがってしょうがねえんですが、もう少《ち》っと安くするように、ひと言言っておくンなさい……とにかくすぐわかりますから……」
「あー、ちとものをたずねたいが……」
「へ? おや、これはこれは、いらっしゃいまし……お婆さん、布団を持ってきな、布団を、さあ、どうぞ、お当てくださいまし」
「拙者、ただいま表をお通りになった、赤井御門守家来であるが、この先の裏長屋を差配するのは、そのほうか」
「へえ、さようでございますが、なんぞ長屋の者が粗相でもいたしましたら、わたくしがなり代わってお詫びをいたします。どうも無作法なやつばかりでまことにどうも……」
「いやいや、あやまるにはおよばんが、年のころ十七、八にあいなるか、眉目《みめ》よき女子《おなご》が味噌漉とやら申すものを持って、かの長屋の路地のうちに入ったが、あれは何者の娘であるか?」
「へえへえ、味噌漉を持って?……だれだい、お婆さん、え? ああ、お鶴かい?……ええ、お武家さん、あれはてまえの支配内の者でございますが、あれは体格《なり》が大きゅうございますので、ちょっとご覧になりますと、十七、八に見えますが、まだ十三でございまして、から馬鹿[#「から馬鹿」に傍点]なんでございます」
「なに? 年齢は十三で、しかもから馬鹿[#「から馬鹿」に傍点]と申すか?」
「へえへえ、さようで……」
「それは、まことに困ったな。いや、じつは内々のことであるが、殿のお目に留まり、屋敷へ奉公にあげるようにと……その下話《したばなし》に参ったが、馬鹿では困るな」
「ああ、……さようでございますか、いえ、まったくのことを申し上げますと、あれは本年十八になりまして、もう目から鼻へ抜けるような利口者でございまして、親孝行で、あんな心がけのよい娘はございません」
「なんだ、いま、十三と申したではないか」
「いえ、それは、なにか粗相がございましたときは、十三で、から馬鹿[#「から馬鹿」に傍点]ということでお許しを願おうと存じましたもので、……へえたしかに十八で、利口者でございます」
「しかとさようであるな?」
「ええ、けっしてまちがいはございません。昨年が十七で今年は十八で、この分で首尾よくまいりますと、来年が十九歳……」
「くだらんことを申すな……で、あの者に親兄弟は?」
「へえ、おふくろと兄がございます」
「しからば、その兄に相談をいたして、よろしければ…」
「いいえ、相談もなにも……兄と申しましてもこれがやくざ者で、あってもなきがごとくでございまして。おふくろを相手に、ぼろを着て、一所懸命内職をして働いておりますが、じつに感心な娘でございます。まだ色気とてもまるっきりございません。もしご縁がございまして、ご奉公がかないますれば、おふくろの喜びはひと通りではございません。どうもありがとう存じます」
「いや、しかし、おまえがありがたいと言ったところが、本人が不承知ではいかず、またやくざ者にせよ、兄という者があってみれば、それに相談せねばなるまい?」
「なあに、とんでもございません、兄貴だって、あんな野郎は、長屋の厄介者で、否応いわせる気づかいはございません」
「しかし、万一、不承知を言うようなことがあってはならん。さっそく屋敷へたずねまいるよう、そのほうから申しつけてもらいたい。支度金は望みどおりとらせる。いま一つ申しそえておくが、いたって堅い殿さまで、これまでいくらお勧め申しても、妾、手掛というものをお持ち遊ばさない。ところが、奥方さまにいまだお世継の若君がおられない。お家のため、お召し抱えになろうというのである。したがって、かの鶴とか申す娘が、幸いお世取りでももうけるようになれば、たいそうな出世であるから、母や兄にもよく申しつけて、とくと相談の上、さっそく否応《いなや》を申し出《いず》るよう」
「へえ、さっそく明朝、うかがうようにいたします。え? どちらさまで……へえ、赤井御門守さまお小屋|内《うち》、石部弥太夫さまとおっしゃいます?……さようでございますか。お茶もさしあげませんで、たいへん失礼をいたしました、へえ、ごめんくださいまして……お婆さん、お鶴だよ。ああ、殿さまのお目に留まったてえ。いや、ありがてえありがてえどうも、おれの長屋からそういう者が一人でも出てくれりゃァ、こっちも鼻が高《たけ》え。ちょいと行ってくるからな、羽織を出しな。いや、なんの仲でも、こういうときはな、きまりだから、羽織の一枚も引っ掛けて行かなくちゃいけねえ。おれァ話をしていますぐ帰《けえ》ってくるから、いいか……」
「おい、いるか、婆さん。婆さんや、婆さんっ」
「なんだなあ、婆さん婆さんて、女が年を取りゃァ婆さんになるのァあたりめえでえ。男が年を取ってみろ、じじいにならあ」
「なに言ってるんだい。あたしだよ……開《あ》かねえなあ」
「開かねえのなら勝手にしろ……わかっているってえんだよゥ。なんだなあ、三合や五ン合借りがあったって、そんなにちょくちょく催促に来るにゃァおよばねえじゃねえかなあ。」
「あれ、なんだ、おれを酒屋のご用聞きとまちがえてやがる……おまえねェ、人の顔を見ないで話をするから……おや、寝てるな」
「おや……まあ、どなたかと存じましたら、まァこれはこれは家主《おおや》……さん」
「あとでさん[#「さん」に傍点]をつけなくったっていいやな。どうした、風邪でもひいて寝てたのかい? 鬼の霍乱《かくらん》ということがあるが、ふだん丈夫なおまえが風邪をひくなんて……」
「いえなに、仮病《けびよう》なんで……晦日《みそか》が近いもんで、そろそろ書付やなんか持って来るもんだから、気が気じゃァないから、まあ、風邪でもひいていると言えば、同じ言いわけをするにも、しようがあるんでねェ、じつは丈夫なんで……」
「あきれたもんだ……じつはな、今日来たのはほかでもない、まァ、上がらしてもらう」
「さあどうぞ……いいえ、もうおっしゃるまでもございませんで、雨露をしのぐ店賃《たなちん》を、どういう了見でとどこおらしたというお叱言《こごと》でございましょうが、なにしろ、うちのあのばか野郎がなまけておりまして、まるっきりこのところ仕事をいたしませんので……お鶴一人で働いておりますんですからねえ」
「いえ、今日来たのは店賃の催促じゃあないんだよ」
「おやまあ、めずらしい」
「ふざけなさんな。なんだめずらしいとは……」
「あなたのお顔を拝見すると、もう店賃の後光《ごこう》がさすようで……」
「ばかなことを言うな。……じつはな、おまえに相談ごとがあってな」
「相談ごと? なんでございます?」
「うん、いいお妾の口があるんでな」
「まあ、いやですよ、家主さん。そりゃあ、あなた、年は取りましても、茶飲み友だちの一人や二人、ないことはございませんけども、こんな年寄りを、あなた、お妾だなんて……あたしゃ恥ずかしい」
「なにを言ってるんだ。おれのほうが恥ずかしいや……いいえ、おまえじゃあない。娘のお鶴だよ」
「おや、そうでございますか、どうもわたくしも少しおかしいと……」
「あたりめえだな。だれがおめえなんぞ引き取るやつがあるもんかな。さっき表をお通りになった丸の内の赤井御門守さまというお大名だ。殿さまのお目に留まって、お屋敷へ奉公にあげるようにという、ご家来からのお問合《つかい》があった。当人にも聞いてみなくちゃあわからねえが、支度金も望みどおり出すとさ、どうだい、おまえ、不承知か?」
「まあ、家主さん、不承知どころか、ありがたいじゃありませんか……まあ、いいえ、あの娘《こ》だけは、どうかわたくしも出世をさせてやりたいとおもいまして、ご承知のとおり、ほんとうに心がけのいい娘《こ》でございまして、それにあの娘《こ》は、小さいうちは虫持ちでございまして、まァあっちの虫封じだ、こっちの護符《ごふう》をいただくんだ……そのうちにあなた、四つの年に疱瘡《ほうそう》でございましょ。疱瘡は器量定めなんていいますから、もし顔へ傷でもつけたら親の甲斐がない、どうかこれがうまく仕上がるようにと、それは、ねえ……まあ、夢のようですねえェ、これと申しますのも、三年前に亡くなりました親父の引きあわせでございましょう。また、一つには、日ごろ信ずる象頭山《ぞうずざん》の金比羅さま、中山の鬼子母神さま、熊本の清正公さま、豊川稲荷大明神、成田山新勝寺、不動明王さま……※[#歌記号、unicode303d]妙見さまへ願かけて……」
「なんだ、唄わなくたっていいや。まあまあ、おまえもそうして苦労をした子が出世をするという、結構なことだ。当人にはおまえから話をして、八公には、わたしからよく話をして、得心させなけりゃあいけないから……」
「あんなもの、いいんですよ」
「そうはいかねえんだ。どこにいるんだ?」
「どこにいるんだかわからないんですが……まあ、今日で五日も帰りませんから、もうそろそろ帰ってくるとおもうんでございますよ。これから心あたりを捜しまして、さっそくお宅へうかがわせますから……」
「なにしろ、あしたの朝までに、お屋敷のほうへご返事をしなくちゃあならない。こっちさえよければ、先さまでは御意にかなっているんだから、いいか、捜したらすぐ八公を家《うち》によこしておくれ」
「はい、かしこまりました」
「こんちはっ、家主さん……いま新道の建具屋の半公の二階で仲間とわるさしていると、迎いがきてばばあが『家主さんとこへ急いで行ってみろ』てんで……」
「やあ、八か。まあ、こっちへ上がれ」
「へえ、どうもまことにすいません。……おっかァから、あらかたの話は聞きましたが、なんだかしらねえけれども、お鶴のあまが大名《でえみよう》の鼻へ留まったって?」
「なにを言ってやがる。蠅《はえ》やなんかじゃああるまいし、鼻へ留まるやつがあるか。お目に留まったんだ」
「ああ、目に留まったのか。なんでも、その見当だとおもった……で、なんです。その、お目に留まったてのは?」
「ま、早く言えば、おまえの妹を見染めたんだ」
「うふッ、助平殿公……」
「な、なんだ、助平殿公とは……そういうことを言ってはいかん。丸の内の赤井御門守という立派なお大名だ」
「へェえ?」
「おれがいま武鑑《ぶかん》を調べたところが、なかなかどうして、まあ、たいしたお家柄だ。元はお公卿さまでな、ご先祖は算盤数得卿玉成《そろばんかずえのきようたまなり》とおっしゃる。中《なか》たび任官して、八三九々守《はつさくくくのかみ》となった。お禄高《たか》が十二万三千四百五十六石七斗八升九合|一掴《ひとつかみ》半分お取りになる」
「へえェ、おっそろしいねえどうも……」
「そこからご奉公にあげるようにと、さっきお使者《つかい》があった。それについておまえに不承知があるかどうか、それを聞きてえから、おふくろに捜しにやったんだ」
「どういたしまして、不承知なんかありゃしません。おりゃどうでも構わねえ」
「構わねえってことはねえだろう。しょうのねえやつだな。支度金のところは望み次第とらせるというから、ともかくも着物をこしらえたりなにかして、このくらい要るだろうというところを言いなさい。いくらでもいい」
「いくらでもいいったって、そういうことは、たいがい相場があるだろうからねェ、どうかよろしくお願《ねげ》え申します」
「それはいけねえや、おれはこんな人間で、なかへ入って一銭一文でも儲けようという考えはねえ。おまえのためをおもうから心配しているんだ。おめえは主人《あるじ》じゃあねえか」
「主人《あるじ》は、裸だ」
「裸でもなんでも、望みはあるだろう。このくらい支度にかかって、婆さんの手当も少しは取って、借金を返すぐらいの勘定を立ててよ」
「うまく言ってやがる。店賃を取ろうとおもって……」
「なにを言やがる。店賃《たなちん》なんぞ別に取ろうというわけじゃない。明日の朝までに返事をするんだからどうだ」
「どうも弱ったなあ。こんなことにはじめて出っくわしたんだから……。あいつを女郎にぶちこんだところで大したことはねえんだからね」
「女郎に売るのたァちがうよ。女郎といっしょにするやつがあるか」
「そりゃそうだけれども弱ったなあ。……そうさなあ……こんなところじゃあどうでしょう? 片手というところじゃあ……」
「そうさなあ、片手というと、ちょっと多すぎるようだが……」
「じゃあ、三両ぐらい……」
「ええ?」
「三両……」
「なにを言ってんだ。相手はお大名だ。なんだ、三両ばかり……おまえが片手といったんで、五百両だとおもったから、少し多いと言ったんだ。まあ、三百両ってとこなら、向こうだって出すだろう。三百両ということにするか?」
「三百両、こりゃありがてえなどうも、三百両なら、おふくろをつけてやりましょう」
「おふくろなんぞつけなくったっていいや」
「だけど、この田地からできたんですから、田地ごとお持ちなさいって……」
「ばかなことを言うな、百姓が養子に行くんじゃあるめえし」
「じゃあ、三百両。手を打ちましょう。三百両ときたひにゃあ、すっかり近所の払いもできるし、質も出して……だけど家主さん、店賃は払わねえよ。せっかくこれだけ溜めたんだから」
「ばかいえ、もらうものはもらう。……なに言ってんだ。そんなことを言ってる場合じゃあねえ」
 翌日、家主が屋敷のほうへ話をする。さっそく三百両という金が下りて支度万端ととのい、お鶴は屋敷へあがった。……殿さまのご寵愛深く、たちまちご妊娠。月満ちて産みおとしたのが、玉のような男の子、お世取りをもうけたというので、にわかにお鶴の方さま、お部屋さまというお上通りの扱いになった。そこで、お鶴から兄に会いたいと願いが出、八五郎に屋敷に出るようにという使者《つかい》が来る。あいだに入り毎度迷惑するのは家主で……。
「しょうがねえ野郎だ。いたかい? 婆さん、ええ? 合羽《かつぱ》屋の二階に転がっていたって? おえねえ擂粉木《すりこぎ》野郎だ。八公のやつァ持ちつけねえ金が入《へえ》ったもんだから、友だちに『兄ィ兄ィ』てんでおだてられて『おゥ、いいから来ねえ』なんて、威勢よくぱっぱと遣《つか》っちまって、一文無しンなって、奴《やつこ》さんきまりが悪いから家へ帰《けえ》れねえって、友だちンとこを居候のまわし[#「まわし」に傍点]を取って歩いてやがる。……来やがった来やがった……なにをしてんだそんなとこで、上がったらいいじゃねえか、こっちィ入《へえ》れっ」
「……どうもすいません。えへへ、方々捜したってね」
「捜したんじゃねえや。どこィ行っちまったんだ」
「どこィ行ったって、なにしろ、えへッ、家《うち》の方へご無沙汰してますからね」
「なにを言ってやがる。てめえの家ィご無沙汰をするやつがあるか。どうしたんだ?」
「どうしたって、ェ、外聞《げえぶん》が悪くて帰《けえ》れねえや」
「外聞が悪いって……」
「妹が奉公に行ってるから、月々の手当をもらって、おふくろはいまンとこはまあ、のんきに暮らしてらあね。そこへまたあっしが厄介《やつけえ》になりゃあ、なんのこたあねえ、干し大根《だいこ》と生大根《なまだいこ》といっしょにかじってるようなもんだからねえ」
「なんだい、干し大根と生大根とかじるてえなあ」
「おふくろのほうはしなびちまってるから、干し大根みてえなもんだ。妹ァまだ水々してるから生大根……」
「なにを言ってやがる。親兄弟の臑《すね》を大根にたとえるやつがあるかい」
「そのかわり、いくら食ってもあたらねえ[#「あたらねえ」に傍点]」
「そういう……てめえはばかだからしょうがねえ。同腹《ひとつはら》からできたが、おまえの妹は利口だ。お屋敷でこんど大したことになった」
「え?」
「お世取りをもうけた」
「だれが?」
「おまえの妹だよ」
「ああ、ごよとり[#「ごよとり」に傍点]をねェ」
「うん」
「儲けた……あ、そうですか。うまくやったねえどうも、あんまり儲からねえもんだけどねェ。ごよとり[#「ごよとり」に傍点]なんてものはねえ、へえ、儲けましたか。あれで、運がいいんだねえ。十姉妹《じゆうしまつ》なんざあもう安くなって……」
「な、なにを言ってるんだい。鳥の話をしているんじゃねえやな。わからねえやつだ。ご世取りてえのは、お子さまができたんだよ」
「ああ、お蚕《こ》さま。ああー、あれならあっしァ上州《じようしゆう》ィ行ってる時分に、ちょいと手伝ったことがありますがね、ええ。春取れるやつは春蚕《はるご》、秋取れるやつは秋蚕《あきご》てえますがね。どうしても春蚕《はるご》が当たらねえと……」
「なにを言ってるんだ。桑の葉をたべるお蚕《こ》さまじゃあないや。わからねえやつだ。ご男子《なんし》ご出生《しゆつしよう》だよ」
「ごなんしごしゅっしょう[#「ごなんしごしゅっしょう」に傍点]? なんだな、最初《はな》っからそう言やあいいんだね。へえ、おどろいたねえどうも」
「じつに大したことになった」
「ふン、豪儀なことですねえどうも……ごなんしごしゅっしょう[#「ごなんしごしゅっしょう」に傍点]なんてえなァ気がつかなかったねえどうも。おどろいたねェ、ごなんしごしゅっしょう[#「ごなんしごしゅっしょう」に傍点]……って、なんです、それァ?」
「なんだい、こんな心細いやつはねえな。わからねえで感心をしてる……」
「あっはは、そうわからなくちゃ、おまえさんもがっかりするだろうとおもって、景気づけに感心をした……」
「景気づけに感心をするやつがあるか、お鶴に、子供衆《こどもし》ができたんだ」
「あーあ、餓鬼《がき》をひり[#「ひり」に傍点]出したのかい」
「な、な、なんだ?」
「なんですかい、跳び出したのは雄《おす》かい?」
「ばか野郎、なんだ、雄とは。男の子だからご世取りだ」
「女の餓鬼なら四十雀《しじゆうから》……」
「まぜっかえすな……それについてお屋敷からお沙汰があった。そういう身分の方にお目どおりがかなうのも妹のおかげだ。おまえもおよろこびに屋敷へ上がらなくっちゃァいけねえ」
「あっしがですか?」
「そうだよ」
「いやだな」
「どうして?」
「どうしてって……手ぶらじゃ行かれねえ、ちったあ手土産の一つも持って行かなくちゃあならねえでしょ、佃煮の折《おり》ぐらい? 断わっておくんなさいな。大名《でえみよう》づきあいときたひにゃァ気骨がおれるからねえ」
「この野郎つきあう気でいやがる。そうじゃあねえや、おめえが向こうへ行くんだ。だいいち、高貴《うえつ》がたへ対して、なにか持ってくなどということはたいへんに失礼だ。ただ、行きさえすりゃあいい」
「行きゃあどうなります」
「行けば、損はないよ」
「へーえ、なんかくれますか?」
「そりゃあ、くださるさ」
「なにを?」
「お目録をくださるな」
「へーえ、おもくもく?」
「ちがう、お目録といって、金をくださるんだ」
「へえー、大名てえものは大したもんだねえ。してみると、つきあって損はねえや……で、いくらくださるんで?」
「どうもおまえは、がさつだからいけねえ。口のききよう、立ち居振舞い、丁寧にしねえと、妹が恥をかくぜ」
「へえ、かしこまりました……じゃあ、これからさっそく行ってきますから……」
「おいおい、行ってきますって、その服装《なり》で行くやつがあるかい」
「いけませんかね?」
「あたりまえだ。大掃除の手伝いに行くんじゃねえや。お屋敷へ行くには、紋付の着物に、袴をつけて行かなくちゃあいけねえ……どうだ、あるか?」
「えーあります」
「ふーん、感心だな。年じゅう尻切り半纏一枚でいるやつが、よく持ってるな」
「へえ、へへへ、ものはよくないけどねえ……うしろの箪笥《たんす》の三つ目の抽出しに入《へえ》ってる」
「こりゃあ、おれンちのだ」
「へへへ、それだ」
「じゃあ、借りていくつもりなのか?」
「へへへ、勿論《もち》さ」
「なんだい、勿論《もち》たあ。あきれ返《けえ》ってものが言えねえ。他人《ひと》のものを借りるのに、だいいちものはよくねえけどってやがる」
「どうせおまえさんとこにいいものはねえ」
「なにを言ってやがる……じゃ、貸してやってもいいが、それじゃあしょうがねえ。先ィ湯ィでも入《へえ》って、髪結床ィ行って、きれいごとンなって来い、早く……行ってきな」
「早く行くんだけどもさァ、へへへへ……行くようにしなくちゃ行かれねえじゃねえか。ただ行け行けったって、そうはいかねえや。ねえ、てえげえ見りゃあわかるんだがなあ。えへっ、どういうわけで、こうむだに年を取ってやがる。血のめぐりが悪い」
「なにを言ってやがる。なんだ、血のめぐりが悪い? 察するとこ、なんだなこの野郎、髪結銭が無《ね》えんだ」
「えへっ、ついでに湯銭も無《ね》え」
「なんだ、まるっきり無《ね》えんだ」
「へええ、さばさばしてる」
「さばさばしすぎてる。しょうのねえ野郎だ……さ、これだけありゃあ足りるだろ?」
「へえへえ、こんなにありゃあ、余るよ……釣銭《つり》いらねえだろ?」
「いきとどいてやがる」
八五郎は、湯へ行って、髪結床へ行ってさっぱりして帰ってきた。
「おゥ、頭ァ見つくンねえ、こう……刷毛先《はけさき》を散らさねえとこ……」
「ああァ、お屋敷向きは、それが上品でいい。さあ、そこへ着物が出てるよ」
「そうですかい。すみませんねえどうも。ええ、みんな出てるかね?」
「お婆さんがてえげえ揃えたろう」
「へえ、そうですかね、ええ……袴だね、帯に足袋に、襦袢に、羽織に……はてな、足りねえなあ」
「なにか出てねえか?」
「へえ、褌《ふんどし》がねえ」
「ばかだな、褌がねえって、締めてねえのか?」
「……恥をかかせるもんじゃないよ。うふッ」
「なんだ、あきれたやつだ……じゃ、婆さん、締めかえを一本出してやんな」
「どうもすいません。ありがとうがす。へェえ、家主さん、なんだね、越中だね……腰ィ当たりがいいように絹紐がついてやがる。贅沢《ぜいたく》だね、どうも……」
「なぜ他人《ひと》の前でぱっと振るんだ」
「だけどいっぺん振るわねえと心持ちが悪い」
「なにを言ってやがる。いくら新しいもんだって、他人《ひと》の前で下帯を振るやつがあるか。……一人で着物が着られるか? え? 着物をつけたら……、こんど袴をはくんだ」
「家主さん、こりゃあ、臍《へそ》の蓋《ふた》ですかね?」
「臍の蓋? あれっ、婆さん、見てやんなよ。袴をあべこべに穿《は》いちまったんだ……臍の蓋じゃあねえ。そりゃあ腰板といって、うしろへいくんだ」
「あ、うしろィ行くのかいこれァ……すると、屁《へ》の蓋かね?」
「屁の蓋なんてものがあるか。早く穿《は》き直すんだ」
「えい、面倒くせえ、やあ……(と、両手を腰に当て、そのまま袴をまわそうとして)」
「おい、両足を割って穿いたものを、そのまままわそうったって、まわりゃあしないよ。手数のかかるやつだ」
「えへ、じれってえ」
「こっちがじれってえや……穿き直したら、紐はちゃんと結ばねえと、袴がさがっていけねえぞ」
「へえ」
「しっかり結んだか?」
「へえ、結びましたが……ずいぶん長《なげ》えねこれあ、ちょいと鋏《はさみ》で切ってくれませんか?」
「おいおい、切るんじゃあねえよ。そりゃあ、こうやってはさんどくんだ……そうそう……あれっ、縒るんじゃねえ。草鞋《わらじ》の紐じゃあねえや……袴が穿けたら、こんどは羽織を着るんだ……うん、馬子にも衣装というが、どうやらかたちがついた。結構結構、男の紋服姿はいいもんだ。生涯にそういう服装《なり》を一度すれば、また二度することがある」
「へえ、近々にまたどうしてもするだろうとおもうんで」
「なにかあるのかい?」
「へえ、へッへ、家主さんの葬式《とむれえ》があるだろうとおもって……」
「なんてことを言うんだ。縁起でもねえ」
「まあ怒っちゃいけないよねえ。こういうことは言い当てるから」
「なおよくねえや……それから、そんなとこへ拳固を入れるもんじゃあねえ。羽織袴で弥蔵ってなあおかしいや。袂《たもと》の先へ手を入れて、突袖《つきそで》というものをするんだ」
「へえ、こうですかい?……へへ、なんだか変だねえ、どうも。疳癪《かんしやく》持が縁日ではじき豆ェ買ったようで……」
「そう動かすからおかしいやな。ただ手を入れて、いくらか反《そ》り身になったほうがいいな。女は、屈《こご》みかげんのほうが女らしくていいし、男は、反りかげんのほうが立派に見える」
「へーえ、そうですかねえ。女は屈《こご》みかげんのほうが女らしいですかねえ……その割りにゃあ、ここンちのお婆さんなんざあ女らしくねえなあ、あんなに屈《こご》んでンのに…」
「ばかだなあ、こいつは。婆さんが聞きゃあ怒らあな。あれァ年のかげんで曲がったんだ……くだらねえことを言ってねえで、早く行ってこい。おめえ、お屋敷は知ってるな?」
「ええ、わかってます。あの、丸の内の、真っ赤な大きな門のある家でしょう?」
「そうだ。向こうへ行ったらな、ご門番に、『お広敷《ひろしき》へ通ります』って言うんだよ。それで、『田中三太夫ってお方にお目にかかります』ってこう言うんだ。いいか、田中三太夫ってお方は、ご重役で、万事を心得ていらっしゃるんだからな」
「わかってるよォ、いい塩梅《あんべえ》にやっつけるよ」
「おまえはそのように言葉が乱暴でいけない。ああいうところへ行ったら、言葉に気をつけて、丁寧な言葉を使わなくちゃあいけねえ」
「大丈夫《でえじようぶ》だよォ。うまくぶッくらわせらあ」
「なんだい、ぶッくらわせるなんてえなァ。いけぞんぜえな野郎だァ。そういう言葉は使っちゃあいけねえ」
「そんなことを言ったら、口がきけねえじゃねえか。丁寧にって、どうすりゃあいいんだ?」
「ものの頭《かしら》には『お』の字をつけて、しまいのほうには『奉《たてまつ》る』をつける。そうすりゃあ、自然に丁寧になる」
「ああ、なるほどね……上へ『お』の字がついて、下へ『奉る』で、おったてまつるだ」
「なんだい、おったてまつるとは?……じゃあ、わかったな?」
「おう、わかってるよ」
「うまくやってこい……おいおい、履物は?」
「え?」
「履物は……?」
「へえ、いま新しい雪駄をおろしたよ」
「おい、いけねえ。そりゃまだおれが一度も履かねえんだ」
「いいよゥ、こういうときおろしゃあ縁起がいいや」
「なにが縁起がいいやつがある……格子を閉めねえのかい」
「へえ、行ってきまーす……あっははは、……ありがてえありがてえどうも……なんのかんのいっても、家主ァ世話好きだからなあ、おれのことをいろいろ心配《しんぺえ》してくれらあ。なあ。人間は運が天にあり、牡丹餅ァ棚だなんてやがら、運天牡丹棚と来なくちゃしょうがねえやどうも……これでおれが向こうへ繰《く》りこんで、殿さまがなんて言うだろうなあ。ええ? 『おめえかい、八っつぁんてえなァ。よく来たじゃあねえか。まァいいやな、こっちィ上がンねえ』かなんて言うかもしれねえから、こっちも構わねえから『おい、どうした殿さん』てなことをやっつけらあ、『殿さん、なんだってなァ。子供ができたてえじゃあねえか、え? 野郎だってえじゃあねえか。豪儀だなあ。なんでも男でなくちゃいけねえや、なあ。初節句にゃあなんか祝うぜ、おれァ、金太郎の人形なんか持ってきて』……そんなこたァよそうかなあ、ええ? いや、おれがこれから向こうへ行くのを、みんな噂してるぜきっと……御殿女中やなんかが、ばかに丁寧な言葉でね、『お鶴さまのお兄上さまのお面付《つらつき》は、いかがでござり奉りましょうか?』なんてんで、そこへおれが行くと、『あらっ、なんてまあ、お粋で、お伝法で、おいなせで、おわたくしは、お見染め奉り候』てなことを……言うかどうかわからねえけど……うふふふっ、うれしくなってきやがったなあ、畜生め!」
「へへへ、こんちはァ……ちょいとこう……」
「これこれ、待て待て。いずれへ通るけえ?」
「へ?」
「いずれへ通るけえ?」
「……向こうへ通るけえ」
「あやしいやつだ。そのほうは、いったい何者であるけえ? ああなんであるか?」
「おてめえは人間であるけえ」
「なにを言うとォる。さようなことは申さんでわかっとォる。なに用で屋敷へ参《みえ》った者であるかと言うに」
「ああ、なに用? あのねェ、屋敷ィ妹がいるんだがねえ。お鶴ってのが。え? お鶴」
「おつる?」
「おつる? 知らねえのかい、お鶴をよォ。殿さまの妾《めか》ちゃん」
「殿さまのめかちゃん[#「めかちゃん」に傍点]……?」
「じれってえなあ。れき[#「れき」に傍点]だよ……こんど妹がねェ。孕《はら》んでひり出したんだ、餓鬼が……」
「あっ、これはこれは、お部屋さまのお兄御さまで……」
「ええ、それなんだ。お兄御よ、お兄御さまだってんだ。妹が会いてえってえから今日やって来たんだが、入《へえ》ってようがすかねえ」
「それならば、かねてお達しのあることで、どうぞお通りを……」
「ちゃんと知ってるくせに、横着な……」
「なにを申しておる……どちらへ参る?」
「ェ、お風呂敷《ふるしき》ってとこへ行くんで……」
「お風呂敷なんてとこがあるか。お広敷である。……どなたにお目にかかる?」
「へえ、田中三太夫って人」
「これこれ」
「へえっ?」
「田中三太夫って人とはなんだ」
「人……人じゃねえのかい?」
「なにを申す……人にまちがいはないが、人と申してはならん。田中三太夫殿であろう。うー? 田中三太夫殿なら、当家の重役であるわ」
「重役だか、重箱だか知らねえが……早く教えろ」
「な、なにっ……。乱暴なやつだ。では、拙者が教えてつかわすが、よいか。このご門を入るな、まっすぐに行くわ。すると、左の方にお馬場が見える。そのお馬場を通り越すと、柳の木がある。その下に井戸がある」
「へへへ、そこからお化けが出る……」
「そんなもの、出やせん。そこへ参れば、すぐにお広敷に通れるわ」
「へえ、どうもすいません……なんだ、あの野郎、いばった野郎じゃあねえか。へっ、門番なんてもなァいくらもらうか知らねえけど、おッそろしいやかましい面《つら》ァしてやがら……なんだと、まっすぐに行くと、左の方におばばが見えるだと……なに言ってやんでえ。ばばあなんぞ見えるけえ。原っぱが見えるだけじゃあねえか。でたらめ教えやがって、畜生め……ああ、ここに柳の木があって、井戸もあらあ。こいつはほんとうだ……ああ、ここだな、お広敷てなあ……こんちは、おーい、どうしたい? だれもいねえのかい? こんちはァ、留守かい? それとも死に絶えたかい?……おーい、奉るよー」
「どーれ……これっ、なんだ?」
「あ、こんちはッ。お鶴の兄でござんすが、お鶴が会いてえってんで、やって来ましたが、すいません、ちょっと親分にそ言っとくンないな」
「親分? お部屋さまのお兄御さまで……あ、これはこれは、ただいま重役に申し上げるあいだ、暫時それへお控えのほどを願いたいで……」
「なにを願いたいんで……?」
「いや、ただいま取次ぐあいだ、暫時それに控える」
「ああ、ざんじ蟇蛙《ひきがえろ》……じゃ、ここへ蟇蛙ンなってればようがすか。おい、おい、あんちゃん、おい……早くしろよ。ちぇっ、なに言ってやがる。屋敷なんてものは、面倒臭えことばかり言ってやがる、へッ。なにもそんなに片づけてるこたァねえ、さっさと出て来やがるがいいじゃあねえかなァどうも。いやに裃《かみしも》をつけて……おっそろしい立派なやつが出て来やがった……(会釈して)こんちはァ、へへッ、おまはん、なんですか、殿さまで……?」
「てまえは、当家の用人田中三太夫と申する者であるが、ただいま御前へ申し上げたるところ、さっそくお目通りがかなうという、ありがてえことである」
「そうですかねえ、いい塩梅《あんべえ》にお天気で」
「なにがよい塩梅にお天気じゃ。ただいま御前へ申し上げたるところ、さっそくお目通りがかなうという、ありがてえことである。しからば身が尻へくっつきなさい……身が尻へくっつく」
「おまえさんの尻ィ食いつく……?」
「なにをたわけたことを。尻へ食いつくやつがあるか。身があとからついて、同道《どうどう》をしなさい」
「え?」
「身のあとからついて、同道をしなさい」
「えー、すると、どこンとこでやりましょうね? まわるんでしょ? どうどうめぐり……」
「いや、そうではないのだ。いっしょに来ることを、同道というのだ」
「ああ、符牒《ふちよう》だね?」
「符牒ではない。こっちへ参《めえ》るように……」
「えー、雪駄《せつた》ァここへ脱いどいてよござんすか?」
「いや、構わん」
「構わんたってね、家主の、借りてきたんだよ。盗《と》られちゃ困るからねェ」
「盗られはせん」
「しかしねえ、もしもってことがあるといけねえから、これ、懐中《ふところ》へ入れて……」
「こらこら、汚い……そこへ置けばよい」
「そうですか?……じゃあ、そうしましょうか」
「しからば、こっちへ参《めえ》れ」
「へーえ、なるほどねえ、広い屋敷だねえ……へえ、こんなに広かったひにゃあ掃除がたいへんですねえこりゃあ。座敷の数ァずいぶんありますが、家賃も安かねえんでしょうねえ」
「えへん……このお廊下を右へ曲がる」
「へえ」
「お廊下を左ィ曲がる」
「へえ」
「また右へ曲がる、……左へ曲がる。……右へ曲がる」
「よく曲がるね。……ちょっと待っとくれよ。おいおい、こんなにおじさん、曲がったひにゃあ、帰り道がわからなくなっちまわあ。こんなに曲がるんじゃあ、角々《かどかど》に小便をひっかけて行かなくっちゃあ……」
「…大声を発してはならん……御前間近である。頭《ず》が高い。頭が高い。どたま[#「どたま」に傍点]を下げろっ」
「なに……?」
「わからんやつである。どたま[#「どたま」に傍点]を下げろッ(と、頭を押えつける)」
「なにをするんだよォ、頭《あたま》って言えばいい。どたまどたま[#「どたまどたま」に傍点]ってえから……」
「ご出座であるから、どたま[#「どたま」に傍点]を持上《おや》かすな……どたま[#「どたま」に傍点]を持上《おや》かすなちゅうに」
「けっ、叱言《こごと》ばかり言ってやがら。大丈夫だてんだよ、がりがり[#「がりがり」に傍点]言うなよ。うるせえなあどうも」
「しいッ、しいッ……」
「赤ん坊がおしっこしてンのかい?」
「ご出座である(と、手をつきお辞儀して)おそれながら申し上げます。お鶴の方《かた》のお兄御八五郎、これに控えましてござります」
「おゥ、鶴の兄八五郎とはそのほうであるか? うん、さようか……これ、苦しゅうない、面《おもて》をあげい。面をあげい。これ……いかがいたしたのか? 三太夫、かれはつんぼであるか?」
「は、はっ、……これ、これっ、面《おもて》をあげい」
「表《おもて》なんて、あがらねえよ」
「なぜあがらん?」
「いえね、もう古いもんですからね、土台もすっかり腐っちまってね。こりゃもうあきらめたほうがいいってそ言ってやったんだ」
「なんの話じゃ?」
「表の戸でしょ?」
「なにを申しておる。頭《あたま》をあげろというのじゃ」
「さっきは、あげちゃいけねえって言ったくせに……」
「こんどはあげるのだ」
「なんだい、あげたりさげたり、忙しくってしゃァねえや……あッ、こりゃ、向こうはぴかぴか光って見えねえや」
「おゥ、鶴の兄八五郎とは、そのほうであるか。予は赤井御門守である。このたび、鶴が男子出産をいたし、予が世継である。予も満足にあるが、そのほうはどうじゃ? 八五郎、鶴が男子出産をいたしたぞ、……これ、三太夫、かれはいかがいたしたか?」
「即答《そくとう》、即答をぶて[#「ぶて」に傍点]」
「え?」
「即答をぶて[#「ぶて」に傍点]ちゅうに」
「ぶて? いいのかい、殴《ぶ》って」
「早くぶて[#「ぶて」に傍点]ちゅうに」
「ほんとうに殴《ぶ》つよ、いいかい? 殴って……」
「わっ、な、なにをいたす? 拙者の面体《めんてい》を殴《なぐ》るとはなにごとだっ」
「これこれ、そこでなにをいたしておるか?」
「すみません。あっしも悪いとはおもったんですがねえ。この人がそっぽ(横顔)を殴《ぶ》て、そっぽを殴《ぶ》てってますからね。こっちも変だから、いいかいって念を押したんですがねえ。そうしたら、早く殴《ぶ》て早く殴《ぶ》てって……しょうがねえから、野郎の横っ面を殴《は》り倒したんで……」
「……即答をいたせと、そっぽを殴《ぶ》てと、まちがえたか……三太夫、まちがいである。許してつかわせ」
「はっ……殿にお答えを申し上げいちゅうに」
「なんか言うのかい。じゃ、はっきりそう言やあいいじゃねえか。そっぽ殴《ぶ》て、そっぽ殴《ぶ》てってえから……どうもすみません。ぶん殴って、勘弁しておくンない。じゃ、いいかい、なんか言って、え? 大丈夫かい、おい……へへへ、こんにちはァッ」
「(あわてて八五郎の袖をひいて)これこれ」
「お今日《こんにち》は、いい塩梅《あんべえ》さまのお天気さまでござり奉りましてございます。エエ、おわたくしさまは、お八五郎さまで……」
「(八五郎の袖をひいて)自分へさま[#「さま」に傍点]をつけるやつがあるか」
「お妹さまのお鶴さまが、餓鬼が跳び出し奉りまして、まことにめでたく候かしく、恐惶謹言お稲荷さまでござんす」
「なにを申しておるか、かれの言うことは、予にはようわからん」
「おまえの言うことは殿さまへおわかりがない」
「あたりめえだよ。自分でしゃべってて、てめえでわからねえんだ」
「そのほうは、がさつ者と聞きおよんでおる、予の前に出《い》でた折は、言葉を丁寧にいたせなぞと申しつかって参ったか。今日は無礼講である。そのほうの朋友《ほうゆう》に申すごとく、遠慮のう申してよい。許す、無礼講じゃ」
「ありがてえことである」
「えっ?」
「ありがてえことである」
「おまえさん一人でありがてえ、ありがてえってえけど、こっちァなにがありがてえんだか、わけがわからねえや。……どうするんだい、え? なんだいその、朋友ってなあ、え? 友だちにしゃべるように? へえ、ざっくばらんにやれって? だれが……? 殿さまがそう言ってんのかい?……えらいねェどうも。苦労人だねェ、おどろいたよあっしァ。生まれてはじめてだよ、こんな窮屈なおもいをしたなあ。座ってるんで、さっきからしびれ[#「しびれ」に傍点]が切れちまってどうにもしょうがねえんで、ま、まっぴらごめんねえッ……」
「あぐらをかくやつがあるか」
「これこれ、三太夫、控えておれ」
「はッ」
「じつはねェ、殿さまの前《めえ》だが、あっしァもう博奕ですっかりお手あげになっちゃってねえ。一文なしで合羽屋の二階でくすぶってたんでげす、へえ、家主から迎えが来やがってね『屋敷へこれから早く行け行け』ってやがって、なんだって聞いたら、お鶴の女《あま》っちょが餓鬼をひり[#「ひり」に傍点]出して……」
三太夫、あわてて八五郎の袖を引く……。
「三太夫、控えておれ」
「はっ」
「それからねえ、まあ、屋敷へ行くったって行くについちゃあ、紋付の着物を着て、袴をつけて行かなくちゃあいけねえって、こっちは、尻切り半纏一枚だ。そうしたら家主が『しょうがねえ、じゃあおれの貸してやるから着ていけ』ってやがって、湯銭から髪結床の銭まで出してくれて、上から下までそっくり借りて、褌《ふんどし》まで借りちゃった……だらしがねえったって、てめえのものァなに一つねえンですよ、へえ。『屋敷ィ行きゃあどうなる?』ったら、『行けば、損はない』って、『お目録をくださる』って、『へーえ、おもくもく』ってなんだって言ったら、『お金をくださる』、『大名《でえみよ》てえものは大したもんだねえ。してみると、つきあって損はねえ』……と」
「これこれっ」
「三太夫、控えておれ」
「……この人ァお宅の番頭《ばんと》さんかい? どうでもいいけど、うるせえねえ。この三ちゃんてのァ……あっしが、なんか言うと、やたらに尻《けつ》をつっつきやがって……尻だからいいけど、ほおずきならとっくにやぶれてらあ。ここンところで、わけのわからねえことを、ぱァぱァぱァぱァ言ってやがる。殿さまもよくこんな者を飼っとくねえ」
「あははは、おもしろいことを申すやつじゃ。これ、八五郎、そのほうは、酒《ささ》をたべるか? どうじゃ?」
「え? せっかくだがご免こうむりやしょう。……馬じゃあねえからね。いくら食らい意地が張ったって、笹っ葉ァ食いませんや」
「いやいや、酒《ささ》と申す。酒《さけ》である」
「え? 酒? 酒なら浴びるほうなんで……」
「おう、さようか。よほど好物とみえるな。これ、酒《ささ》の支度をいたせ」
「え? ごちそうしてくださるんですか、どうも。すいませんねェ……手ぶらで来ちまって、散財かけちゃあ、どうも……おや、用意はできてたのかい、こりゃどうも……なんだい、まだ来るのかい? もういいよ。番頭さん、留めとくれよ。ねえ、殿さま、あと断わっとくンないよ。およしなさいよ。そんなに食い物ばかりこてこて[#「こてこて」に傍点]来たって食いきれねえから、むだだからさあ、ねえ、殿さま、そんな見栄《みえ》張るこたァありませんや。こうやって大きな屋台骨はしてるが、おたげえに懐中《ふところ》は苦しいんだから……」
「おい、これこれっ」
「三太夫、控えておれ」
「見ねえ、三太夫控えておれって言ってるじゃあねえか。控えていなよ」
「これ、たれぞある、酌をしてつかわせ」
「おっ、ありがてえなあ。まあ、立派な金|蒔絵《まきえ》のついた大きな盃《さかずき》だねえ……えへへ、なんです、お婆さん、お酌? やってくれンのかい? へっへっ、すいませんねェどうも……婆さんに酌ゥさして……(袖をひかれて)え? なんでえ、婆さんて言っちゃあいけねえ、ご老女《ろうじよ》? ご老女ってえのかいこの人……ご老女ったって、やっぱりばばあじゃねえか……すいませんねえ、おッとッとッと(と、盃を持ちあげ)えへっ、酌のしかたが慣れてるね、へへ、どうも、へへへへ……じゃ、殿さま、いただきます。こんな立派なもんで飲むのははじめてなんで……(と両手に盃を持って飲み)いい酒だねェどうも、ふだんやってんですかいこれを……へへ、口がおごってンねェどうも。安くねえだろうねェこの酒じゃあ、一合いくらぐれえするんで?」
「これこれ、なにを申す」
八五郎、空っ腹のところへ大盃で、たてつづけに五、六杯あおったから、すっかり酔いがまわって……
「……殿さま、へへ、すいませんねェどうも。おれァすっかりいい心持ちになっちゃった。ああ、ほんとうにねェ、今日はじつのところを言うと、来るのよそうとおもったんだ……ほんとうのとこさ、ねえ、なぜったって、百文《ひやく》も銭がねえんだから、手ぶらで来ちゃあみっともねえから、『佃煮の折箱《おり》ぐらい持って行かなくちゃあならねえ』って、おれァそ言ったんだ。そうしたら家主が『なんか持ってくなァ失礼だ。ただ行きさえすりゃあいい』ってさあ。あっははは、きまりが悪くってしょうがねえやな……こっちだってねえ。こんだァまた都合のいいときに、なんかぶらさげて来ますからね、え? 勘弁しとくンなさい、えへへへ……ええ、なにしろ、酒はいいしねえ、食い物はうめえや、うん、板場《いたば》にいくらかやりてえけれども、なにしろ銭がねえから、立替えといつくンねえ、ねえ、えへへへ、立替えだよ。あっしなんぞァこんなやくざ[#「やくざ」に傍点]だけど、でもねえ、ほんとうだよ、殿さまとねえ、おれとァ兄弟分《きようでえぶん》……(三太夫に袖をひかれ)なにしてやんだ、なに、怒ったってしょうがねえじゃねえか。ほんとうのことを言うんじゃねえか、ねェ、あっしの妹が、殿さまの、えへッ、れき[#「れき」に傍点]だ、ねえ、えへへ。殿さまとあっしとァ兄弟分《きようでえぶん》みてえなもんだ、ねえ、ほんとうのことがさ。だがねえ、あっしァ貧乏でしょうがねえけれども、もし殿さまが、どっかで喧嘩するとか……まあそんなこたァねえだろうがねえ。殿さまがなんか引け目があってさ、向こうでなんか言ってきて、癪にさわる、なんてことがあったら、あっしにそ言ってくンなよ、ええ、これでもねえ、友だちで十人や二十人は、あっしのために命を投げ出そうなんてえ、へッ、野郎ァいるんだよ。そのかわりこっちだってふだんいい交際《つきあい》してらあね、銭のあるときァ小遣えもくれてやるし、うめえ物も食わしてやりますからね。そういうときはあっしァ殿さまンとこへ加勢に来るよおれァ、ほんとうさァ。どっかに殴りこみかなんかあるときァねえ、どうか遠慮なしにそ言ってくンなよ。えへへ……しかしさ、こちとらとちがって、殿さまなんざいい身分だよ。うめえ物は食い放題だし、うめえ酒ェ飲んでさ。きれいなこんな女を、こてこて[#「こてこて」に傍点]傍へ並べて……おゥッ、なんでえ、お鶴じゃねえか、おゥ。あっは、おーう、お鶴やァーい」
「これっ、無礼者っ」
「なにを言ってやんでえ。なにが無礼だァ。おれの妹だい。なんでえ、なんでえ、おゥ、おゥ、兄貴だ、兄貴だ。……そこにいるんなら、なんとか声をかけろよ。へーえ、きれいになりゃあがったなあ、おっそろしい立派な着物を着てやがる、錦布《きんぎれ》なんぞ着やがって、それァ、お神楽の衣装かあ……はははは、こんど、おめえ、子供ォ産んだってなァ。男の子だってなあァ、乳ァ出るか? そうかァ……おっかァよろこんでたぜ、ばばあがよ、『初孫だ初孫だ』ってなァ。おふくろァ心配《しんぺえ》していたぜ。『おしめ洗うものァあるか』ってよォ……えへへ、『手伝いに行こうか』ってよォ。へッへッへ……殿さまァ、こんな妹ですが、ひとつ、かわいがってやっておくンなさい。頼むよ、ほんとうに。あっしはこんなだらしがねえけれど、やつは利口で、気立てのいい女で、親孝行でねえ……どうかまあひとつ、末長く面倒を見てやっつくンねえ。お願《ねげ》えしますよ(と、頭をさげ)おゥ、お鶴ゥ、おめえもなんだぞ、殿さまァ大事《でえじ》にしろよ。しくじるなよ、ええ? ほんとうだよ、笑い事《ご》っちゃねえぜ。子供を産んだなんてんで、大きな面ァして他人《ひと》に憎まれちゃあ損だからなあ。なんでも人にゃあ如才なくして、殿さまァ大事《でえじ》に、いい塩梅《あんべえ》にやってくれ、え?……ねえ、殿さまァ、えへへ、あっしゃあ口は悪いけどもねえ、腹ン中ァきれいなもんだ。おらァ、ありがてえんだ、え? うれしくってしょうがねえんだ、うわーッ。どうだい、三ちゃん、えッ、一ぺえいくかい? え? なに?……御前|態《てい》で無礼である? ああそうかい。そいじゃあいいんだ。せっかくの他人《ひと》の親切、無にしやがって、ねえ、おい、大将《てえしよう》!」
「これこれっ、大将とはなんじゃ」
「三太夫、よいよい、控えておれ」
「よいよい、控えておれとよ、三ちゃん。……殿さまァ、景気づけに一つ唄でも唄おうかね?」
「ほう、唄を唄うと申すか。それは一興である。なにか珍歌はあるか、どうじゃ?」
「……ちんか? なんだ、変なことを言っちゃいけねえや。なんでえ、ちんか[#「ちんか」に傍点]ってなあ」
「なにかめずらしき歌があるか、どうじゃ?」
「めずらしき唄が? あっははは、冗談言っちゃいけねえ、めずらしい唄なんてえのァこちとらァ知らねえけれども、都々逸なんてえのァ、乙《おつ》なのがありまさあ、ねえ、三日月は痩せるはずだよありゃ病み(闇)あがり、それにさからう時鳥《ほととぎす》……なんてのは、いいねえ……えへへ、——この酒をとめちゃいやだよ酔わしておくれ、まさか素面《しらふ》じゃ言いにくい……なんていい文句だね、殿さま」
「おゥ、さようか」
「こりゃおどろいた。へへ、なんだい。都々逸を聞いたら『よォこらこら』とかなんとか言ってもらいてえなあ。……都々逸を聞いて『さようか』ってやがら、いやだよおい。……※[#歌記号、unicode303d]悪縁か因果同士か仇《かたき》の末か……ってね、※[#歌記号、unicode303d]ェェ、添われェぬゥ…人ほどォなおかァわいィ……なんてねえ、おォ……オいッと、くらあ……どうでえ殿公」
「なんだ殿公とは……」
「三太夫無礼講じゃ、控えておれ……いや、おもしろいやつである。かれを抱えてつかわせ」
 ……殿さまの鶴のひと声で、後日、ものを知らぬ男でも、またなにかの役に立つこともあろうと、八五郎を、五十石の小身《しようしん》ながらも武士《さむらい》に取り立て、また母親も孫の顔が見られるようにと、屋敷内に小屋をくださるという沙汰があって、親子もろとも屋敷住まいということになった。さてこうなると、八五郎にも名前がなくてはいけない。お側役人もおもしろ半分、蟹《かに》に似ているからというので、石垣|杢蔵源蟹成《もくぞうみなもとのかになり》という名をつけた。
「おっかァ、こっちへ移るとき、つい急いだもんで、ろくにいとま乞《ご》いしてこなかった。それについて、おれはこないだからそうおもってるが、今日は友だちのところをずーっとまわって、家主さんのところへも行って、この姿を見せたらみんなも安心するだろうとおもうんだ」
「そうさねえ、行ってくるがいい」
それから、八五郎は、大小をさし、ぶっ裂《さき》羽織を着て、供を一人連れて、屋敷を出て、もと住んでいた町内へ来ると、職人が多いから、昼間はあまり姿が見えない。あっちこっちをまごまごしていると、
「おう、向こうから来た侍《さむれえ》な、八の野郎に似てるぜ」
「似てるけども、相手は侍《さむれえ》だぜ。あいつ、やり切れなくって、夜逃げしたってえじゃあねえか」
「夜逃げをしたやつが、侍《さむれえ》になるわけがねえ」
「だけども、なんだか妹を女郎に売ったとか、妾にしたとかいうぜ」
「妹が妾になって、あいつが侍になるわけがねえ」
「あんまりよく似てるなあ。にこにこ笑ってきやがる。声をかけてみようじゃねえか」
「八公なんて呼んで、もしまちがって、いきなり無礼討ちなんてやられると大変《てえへん》じゃあねえか」
「だけれども似ている。だんだんこっちへ来るぜ。ひとつなんとか言ってみよう」
「じゃあ、おれは尻をはしょって逃げる支度をしているから、おめえ、声をかけてみねえ。おめえが八公つったら、おれはぱっと逃げる」
「なるほど、そいつはおもしれえ。なーに、追いかけたって、向こうはあれだけのものをさしているんだ。こっちゃあ空身だから、駆けっこなら大丈夫だ。いいか、呼ぶぜ、おお、どうした八公、おそろしく立派になったじゃあねえか」
「いや、これはこれは一別以来……」
「おーい、逃げねえでもいい。ほんものの八公だ。一別以来ときやがった。おそろしく立派な刀をさしてるじゃあねえか」
「これは殿より拝領して、もらって、いただいたんだ」
「ばかにご丁寧だな。なにしろうまくやりゃあがったな」
「まあよろこでくれ。いまじゃあこういう身分になった」
こんな調子の俄《にわか》侍だから、そのうちに屋敷の周囲にも知れて、赤井御門守においては、おもしろい家来をお抱えになった。非番の折は、つれづれを慰めるため、お遣《つか》わしくださいと、毎日のように八五郎、屋敷へおもちゃ[#「おもちゃ」に傍点]に呼ばれ、いけぞんざいな口をきいたり、変なことをするのがおかしく、明日はお客があるから来てくれというような具合い……。
ある日、ご親戚の大名から口がかかったが、当人も諸方へ行ってたびたび恥をかくので、辞退し、殿さまとしてもやむをえず、使者の役をいいつけた。委細はこの文箱《ふばこ》のなかの書状にしたためてあるから、これを持参して参れということになった。文箱を持って出かけようとすると、門前に馬の用意がしてある。
「おい槍持ち、この馬をどうするんだ?」
「へえ、あなたさまがお召しになるんで……」
「そりゃあいけねえ。まだ三日しきゃあ馬の稽古をしねえから、尻がふわふわして鞍につかねえ」
「それでも馬乗《ばじよう》のお使者ですから、お召しなさらなくっちゃあいけません」
「いけねえったっておれァ乗れやしねえから、おまえが乗って、おれが槍をかついで供をする」
「それはいけません。ご主人が槍をかついで、槍持ちが馬に乗るということはありません」
「弱ったなあ。どうしても乗らなきゃあいけねえのかい? じゃあ乗るよ」
どうにかこうにか手綱を持つくらいのことはおぼえたが、馬は乗り手を知るといって利口なもので、馬のほうがばかにして、のそのそ歩き出して、小川町《おがわまち》あたりのにぎやかなところへ来ると、ぴたりと立ち止まって、どうしても動かない。
「おい、いけねえや。馬をどうかしてくれ。弱ったなあ。どうにもしょうがねえ」
そのうちに人が集まってきて、槍持ちは槍を持って、往来に突っ立ってもいられないから、近くの番小屋へ行って、槍を立てかけて、縁台へ腰をかけると、日当たりがいいので、そのうち居眠りをはじめた。
「どうしたんだ、あの侍は? 往来の真ん中に馬なんか止めやがって」
「寝てるんだろう。なんにしても邪魔な野郎だ。かまうこたァねえから馬の尻をひっぱたけっ」
気の荒い職人が、ぽーんと一つ鞭《むち》を入れたとたん、馬がヒーンと棹《さお》立ちになった、八五郎は馬の首っ玉へかじりついて、
「助けてくれッ、助けてくれッ」
と、どなったが馬はそのまま走り出して、品川の方をさして飛んで行く。このとき、ちょうど品川の方から同家中で、石塚馬之丞という馬の師範がやってきた。そして、飛んでくる馬の前へ立って、「ドウ」と言って口を取ると、たちまち馬はピタリと四足を止めた。
「石垣氏、血相変えていずれへお越しになる? なにかお家に椿事出来《ちんじしゆつたい》、お国表への早打ちか? いずれへおいでになる?」
「拙者にはわからん、馬が知っておりましょう」
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