その彼は、私にとって、生まれて初めてラブレターをもらい、初めて二人だけでデートをした相手だった。
彼と知り合ったのは、それより二年前、私はまだ中学三年生で、彼は高校二年生だった。
夏休みが終わり、新学期がはじまってしばらくたったある日の朝、目白(めじろ)駅のホームで、前から歩いてきた男の子にいきなり声をかけられた。
「これ、読んでほしいんだけど」
相手は二人いて、そのうちの一人が私に向かって手紙らしきものを差し出した。いつも下ばかり向いて歩いていた私には、まったく見知らぬ顔。でも、その制服が、あの優秀な開成(かいせい)高校のものであることは、私にもわかった。
目の前で起こっている事態がさっぱりわからないまま、渡された手紙を手に、しばらくボーッとしていた。ふと気がついたときには、二人の姿はなかった。
その手紙には、一言、「惚(ほ)れた!」と書かれていた。
へーっ、これってラブレターじゃん。
当時はいつもゆううつがちな毎日だったけど、その日だけは上機嫌(じようきげん)。帰宅後、私は得意になってその手紙を母に見せた。
「あらまあ、開成! いいじゃない、お付き合いしてみたら」
開成高校といえば、東大合格率ナンバーワンの秀才校(というイメージ)。当時の私にはそれほどピンとこなかったけど、母は「開成」と聞いただけで目を輝(かがや)かせていた。単純そのもの。
そのころ、自分のペースでしか行動できない私は、規則にがんじがらめの学校にますます嫌気(いやけ)がさし、精神的にもかなり荒れていた。両親ともあまりうまくいっていなかった時期。母は、“いいとこのお坊(ぼつ)ちゃん”と交際すれば、少しはいい子になるのではと思ったのかもしれない。
あまりうまくいっていなかったとはいっても、そこはアメリカ式の習慣で、そういうことはなんでも母親に話していた。母はそんな調子だったけど、母から事情を聞いた父は、すぐに大賛成(だいさんせい)とはいかなかった。
それまでは特定の男の人との付き合いはなかったけれど、友だちの関係で、私のところにも男の子から電話がかかってくることがあった。その電話を父がとったときにはもう大変。
「アンナさん、いますか」
黙(だま)ってガチャン。さもなければ、相手の名前から用件まで根掘(ねほ)り葉掘(はほ)りくどくどと問いただすから、いやがって向こうから切ってしまう。
それくらいうるさかった父も、母の説得もあって、この開成くんとの交際はしぶしぶ認めてくれた。
手紙をもらった翌日、また向こうから声をかけてきて、交際がはじまった。
私にはそうした経験がまったくなく、今後もありえないだろうと思っていたから、目の前のニンジンに夢中(むちゆう)で飛びついたといった感じ。それこそ有頂天(うちようてん)。
彼を両親にも紹介し、私も向こうの両親に紹介されて、親公認の交際となった。
彼との最初のデートのとき、心配した父がそっとあとをつけ、まるで探偵(たんてい)みたいに双眼鏡(そうがんきよう)を使って私たちの様子を監視していたという。この話をあとで聞かされたときには、びっくり仰天(ぎようてん)してしまった。
なんて親だ——。