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ムッソリーニの処刑07

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示:ラセッラ街で親衛隊爆殺 四四年一月二十二日未明、地の底から響くように殷々(いんいん)たる砲声が轟いてきたのをローマ市民は
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ラセッラ街で親衛隊爆殺
 
 四四年一月二十二日未明、地の底から響くように殷々(いんいん)たる砲声が轟いてきたのをローマ市民は聞いた。誰もが固唾をのんだ。首都南方五十キロのアンツィオ海岸に数万の連合軍が上陸したのである。それから連日、砲声は続く。連合軍はやがて北上、ローマ南四十キロ足らずのアプリリア地域をめぐりドイツ軍との争奪戦に入った。ローマとその周辺への連合軍空爆も激化した。二月十日には、連合軍によるローマ法王の夏の別荘地カステルガンドルフォ爆撃で民間人に約五百人の死傷者が出た。三月に入ると、ローマ市内でも空襲による被害が相ついだ。
「首都攻防戦近し!」と、約五万のローマ占領ドイツ軍は臨戦態勢に入り、緊張の極にあった。こうした空気から、ドイツへの市民のとげとげしい反感は増幅するばかりであった。連合軍はこの機に乗じて、市民向けのビラを幾度も空中から大量にばら撒いた。
「連合軍はイタリアの心臓部に近づいている。いまこそローマ市民はその英雄的行動によって、侵入者ドイツ兵を放逐するため、われわれと協力しよう。イタリア解放のために!」
「明日のイタリアを保証するため、ローマ市民のわれわれへの協力は不可欠である。諸君の協力を期待している。FUORI I TEDESCHI!(ドイツ人を追い払え!)」
 三月二十三日午後二時過ぎ、市内中心部のラセッラ街で、大音響とともに爆裂音が轟いた。ちょうどそこを武装行進中のナチ親衛隊百五十六人は爆発とともに吹き飛ばされた。血の海となった現場には散乱した肉片、ちぎれはじかれた軍服、息絶えながら倒れるもの、うめきながら助けを呼ぶものなど酸鼻の極みであった。道路の両側の建物の窓ガラスは壊れ、屋内からは泣きわめきながら人々が顔を出した。
轟音はローマ市内のほぼ全域に聞えるほど大きく、市民の誰もが「何かあったなっ!」と耳をそばだてたほどであった。ラセッラ街は目抜きのトリトーネ大通りからふたつ裏の坂道で、トレヴィの泉がほど近くにある。この大爆発で親衛隊のうち三十二人が即死、重軽傷を負った約七十人のうち一人が後で病院で死亡した。死者は結局三十三人となった。これがパルティザン闘争史上名高い「ラセッラ事件」の発端である。
 この親衛隊爆殺テロは、パオロことロザリオ・ベンティヴェンガ、エレナことカルラ・カッポーニという男女の愛国行動隊員により実行されたものであった。ベンティヴェンガはローマ大学医学部学生で、カッポーニは化学研究所に勤めたことのある普通のお嬢さんである。
二人は恋仲で、テロリストとしても有能であった。前年末にはバルベリーニ広場の映画館で、前線に出動するドイツ兵が映画を楽しむために集合したところを座席の下に仕掛けた爆弾で一度に十人を死亡させ、十五人に重軽傷を負わせた。同じ年末、こんどは反ナチ・ファシストが収容されているレジナ・コエリ刑務所を襲い、看守ら八人を殺傷した。年が明けた一月には、ローマのファシスト党副書記長ピッツィラーニを襲い、その運転手を死亡させ、さらに三月一日にはヴェネト街でドイツ軍将校を射殺し、鞄を奪取している。そうした実績を持つ二人が、続いて起こしたのが、このナチ親衛隊爆殺という大胆不敵な事件であった。
首都ローマ防衛の臨戦態勢が強化されると、ドイツ軍は市内の警備を強化、巡邏隊が連日くまなく重要拠点を回った。ベンティヴェンガらが目をつけたのが、このうちの親衛隊の巡邏隊であった。親衛隊の第三大隊第十一支隊はポポロ広場からスペイン広場を経て、トリトーネ大通りに出、そこからラセッラ街を通過してクワットロ・フォンターネ街に出る経路で、毎日同じ時間にパトロールすることを突きとめた。
爆弾作りはベンティヴェンガら二人が当り、付属器具はジュリオ・コルティーニという仲間が作った。彼らはゴミ運搬車と清掃人の制服を市清掃作業場から調達した。道路清掃人に変装して、親衛隊を待ち伏せするという段取りである。周到な準備の後、決行日を三月二十三日とした。この日はファシスト党創設二十五周年記念日でもあり、その夜、市内では記念式典が予定され、その会場となるテヴェレ川対岸のアドリアーノ劇場付近に警戒警備の重点が置かれていた。その間隙をぬっての奇襲作戦であった。
 決行当日、ローマは春らしく明るい日差しが街々を彩っていた。ちょうど昼食時で、ラセッラ街は人通りもなかった。数人の道路清掃人が金属製の小型ゴミ運搬車を引きずって、道路清掃中であった。ベンティヴェンガらである。
いつもの通りラセッラ街のゆるやかな勾配の坂道を親衛隊の隊列が上って来た。運搬車のゴミ箱の上に爆薬十二キロの爆弾一個、それに箱の中に同じく六キロ爆弾が隠され、点火後一分すると爆発する仕掛けであった。石畳の道路を行進して来る親衛隊の歩調が聞えて来た。計算通り、ベンティヴェンガは爆薬に点火するとゴミ運搬車の上に帽子を載せた。それが仲間への点火の合図であった。あたりにいた清掃人のいでたちをした仲間は、近づく親衛隊に道を譲るふりをして、バルベリーニ広場へ折れる道を曲ると、それぞれ一目散に別の方向に走り去った。走りながら清掃人の制服をぬぎ捨てた。数秒後、ドドーン、ドーンと相ついで爆裂音が街々に大きく鳴り轟いたのであった。
それにしても、現場の状況は目を覆うばかりであった。事件直後、ドイツ軍が撮影した写真が残っているが、ラセッラ街の坂道に親衛隊の爆死者の遺体がゴミの山のように累々ところがっている。この白昼の大テロ事件はすぐさま市内に伝わっていった。市民は誰もが息をひそめた。
爆発音が轟いた時、国民解放委員会の幾人かが、スペイン広場近くの家で昼食をとりながら秘密会合していた。アルチーデ・デ・ガスペリ、ジォルジォ・アメンドラも加わっていた。早速、会合を打ち切って各自の隠れ家に戻った。街にいては検束される恐れがあったからである。国民解放委員会の面々も市民も、「ドイツ軍はきっと、大がかりな報復をしてくるのではないか」と恐れおののいた。
果してその心配は的中することになる。大惨劇が起こるのである。
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