まず最初は歴史的な解説です。どういう思想史的な文脈の中で構造主義は誕生したか。それについてご説明しようと思います。
思想史的な区分によりますと、いま私たちが生きている時代は「ポスト構造主義の時代」と呼ばれています。「ポスト」というのは「……以後」を意味するラテン語です。つまり、いまは「構造主義以後期」ということになります。
これはどういうことを意味しているのでしょうか。「ポスト構造主義」ということは、「構造主義が支配的な、あるいは有効な思考形式である時代は終わった」ということなのでしょうか。
私はそう思いません。
「ポスト構造主義期」というのは、構造主義の思考方法があまりに深く私たちのものの考え方や感じ方の中に浸透してしまったために、あらためて構造主義者の書物を読んだり、その思想を勉強したりしなくても、その発想方法そのものが私たちにとって「自明なもの」になってしまった時代(そして、いささか気ぜわしい人たちが「構造主義の終焉《しゆうえん》」を語り始めた時代)だというふうに私は考えています。
構造主義の思考方法は、いまや、メディアを通じて、学校教育を通じて、日常の家族や友人たちとの間でかわされる何気ない会話を通じて、私たちのものの考え方や感じ方を深く律しています。それがどんなふうに私たちの思考や経験を「律している」のか、その具体的な事例は次章以下でくわしく見てゆくことにします。
そんな「自明なもの」をあらためて研究することに意味があるのだろうか、とお考えの方もおられるかも知れません。
もちろん意味はあるのです。むしろ、「自明なもの」だからこそ取り上げる意味があるのです。
というのは、学術に託されたたいせつな仕事の一つは、私たちにとって、「自明のもの」であり「自然のもの」であり、「そんなの常識」として受容されているような思考方法や感受性のあり方が、実は、ある特殊な歴史的起源を有しており、特殊な歴史的状況の中で育まれたものだ、ということを明らかにすることだからです。
いまの私たちにとって「ごく自然」と思われているふるまいは、別の国の、別の文化的バックグラウンドをもっている人々から見れば、ずいぶん奇矯《ききよう》なものと映るでしょう。(だから「ここがヘンだよ日本人」というような批判的コメントがほとんど無限に提出できるわけです。)
それどころか、同じ日本人であっても、地域が変わり、世代が変われば、同一の現象についての評価は一変します。半世紀後の日本人から見たら、いまの私たちが何気なく実践している考え方やふるまい方の多くは、「二一世紀はじめころの日本社会に固有の奇習」として回想されるに違いありません。
ですから、いま、私たちがごく自然に、ほとんど自動的に行っている善悪の見きわめや美醜の判断は、それほど普遍性をもつものではないかも知れない、ということをつねに忘れないことがたいせつです。それは言い換えれば、自分の「常識」を拡大適用しないという節度を保つことです。
私たちにとって「ナチュラル」に映るのは、とりあえず私たちの時代、私たちの棲む地域、私たちの属する社会集団に固有の「民族誌的偏見」にすぎないのです。
そういうふうに考えると、「ポスト構造主義期」を生きている私たちは、「構造主義を『常識』とみなす思想史上の奇習の時代」を生きているということになります。
そのような時代は、(あとで見るように)比較的最近始まったものであり、当然、いずれ終わりが来ます。しかし、私たちはいまのところは「構造主義が常識である時代」にとどまっており、そこからの決定的な踏み出しは未だなされてはいません。
なぜでしょう。
それは、いま私がしているような「問題の立て方」そのものが「構造主義的な」問題の立て方以外の何ものでもないからです。(話がややこしくて、すみません。)
ご説明しましょう。
「私たちはつねにあるイデオロギーが『常識』として支配している、『偏見の時代』を生きている」という発想法そのものが、構造主義がもたらした、もっとも重要な「切り口」だからなのです。
つまり、構造主義という「思考上の奇習」についての批判的省察を行うときに、そのための学術的「ツール」として私たちがとりあえず使えるものは、構造主義しかないのです。
構造主義的知見を利用することなしには、構造主義的知見を批判的に省察することができないという出口のない「無限ループ」の中に私たちは封殺されています。この「ループの中に閉じ込められている」というのが「あるイデオロギーが支配的な時代を生きている」ということです。
これに類する事例としては、「マルクス主義の用語を使わないと、マルクス主義的知見を内在的に批判することはできない」と信じられていた時代が少し前まであったことを思い出して下さい。
例えば、一九七〇年代にマルクス主義の運動を批判するとき、「マルクス主義? 知らないねえ、何かね、それは?」というような言い方は許されませんでした。批判者に許されたのは、マルクス主義を掲げる思想や運動がマルクスに照らして、いかに「十分にマルクス主義的」でないかを論証することだけでした。(つねに、より「革命的」で、より「ラディカル」で、より「人民の大義」に貢献するような理説の名において、既存の制度や運動は批判されたのです。)
ですから、ソ連東欧の社会主義体制が次々と崩落したときでさえ、当時の左翼知識人は口を揃えて「失敗した社会主義は『真の社会主義』ではない。『真の社会主義』はただいまも粛々と建設中である」と語ることができたのでした。
「マルクス主義が支配的なイデオロギーであった時代」というのは、みんながマルクスの本を読んでいた時代のことではありません。そうではなく、マルクス主義思想や運動についての批判的記述が、もっぱらマルクス主義の用語や概念を使ってしか試みられないことを誰も「変だ」と思わなかった時代のことです。
あるイデオロギーが「支配的である」というのは、そういうことです。
マルクス主義の場合は、「もう、そのことばづかい、止めません?」ということがなんとなく集団的な了解に達したときに、「支配的なイデオロギー」であることを止めました。別に、誰かがマルクス主義を根底的に批判し切ったとか、歴史的経験がマルクス主義の不可能性を告知したからではありません。(マルクスの知見はこれまでも、これからもおそらくつねに有効です。)そうではなくて、単にみんなが「マルクス主義的にしゃべるのに飽きた」というだけのことです。
構造主義についても同じことが起こるだろうと私は思います。
いまのところ私たちは「構造主義の用語を使わないと、構造主義の成り立ち方を説明することができない」ループの中に封じ込められています。しかし、いずれ構造主義特有の用語(システム、差異、記号、効果……)を使って話すことに「みんなが飽きる」ときがやってきます。それが「構造主義が支配的なイデオロギーだった時代」の終わるときです。
本書はそのような構造主義の時代の「終わりの始まり」を示す徴候の一つとみなしていただければよいかと思います。私は別に進んで構造主義の「死期」を早めるためにこの本を書いているわけではありませんが、本書を読み終わったころには、おそらく読者のみなさんは、「システム」とか「差異」とかいうことばにかなりうんざりし始めているでしょう。
思想史的な区分によりますと、いま私たちが生きている時代は「ポスト構造主義の時代」と呼ばれています。「ポスト」というのは「……以後」を意味するラテン語です。つまり、いまは「構造主義以後期」ということになります。
これはどういうことを意味しているのでしょうか。「ポスト構造主義」ということは、「構造主義が支配的な、あるいは有効な思考形式である時代は終わった」ということなのでしょうか。
私はそう思いません。
「ポスト構造主義期」というのは、構造主義の思考方法があまりに深く私たちのものの考え方や感じ方の中に浸透してしまったために、あらためて構造主義者の書物を読んだり、その思想を勉強したりしなくても、その発想方法そのものが私たちにとって「自明なもの」になってしまった時代(そして、いささか気ぜわしい人たちが「構造主義の終焉《しゆうえん》」を語り始めた時代)だというふうに私は考えています。
構造主義の思考方法は、いまや、メディアを通じて、学校教育を通じて、日常の家族や友人たちとの間でかわされる何気ない会話を通じて、私たちのものの考え方や感じ方を深く律しています。それがどんなふうに私たちの思考や経験を「律している」のか、その具体的な事例は次章以下でくわしく見てゆくことにします。
そんな「自明なもの」をあらためて研究することに意味があるのだろうか、とお考えの方もおられるかも知れません。
もちろん意味はあるのです。むしろ、「自明なもの」だからこそ取り上げる意味があるのです。
というのは、学術に託されたたいせつな仕事の一つは、私たちにとって、「自明のもの」であり「自然のもの」であり、「そんなの常識」として受容されているような思考方法や感受性のあり方が、実は、ある特殊な歴史的起源を有しており、特殊な歴史的状況の中で育まれたものだ、ということを明らかにすることだからです。
いまの私たちにとって「ごく自然」と思われているふるまいは、別の国の、別の文化的バックグラウンドをもっている人々から見れば、ずいぶん奇矯《ききよう》なものと映るでしょう。(だから「ここがヘンだよ日本人」というような批判的コメントがほとんど無限に提出できるわけです。)
それどころか、同じ日本人であっても、地域が変わり、世代が変われば、同一の現象についての評価は一変します。半世紀後の日本人から見たら、いまの私たちが何気なく実践している考え方やふるまい方の多くは、「二一世紀はじめころの日本社会に固有の奇習」として回想されるに違いありません。
ですから、いま、私たちがごく自然に、ほとんど自動的に行っている善悪の見きわめや美醜の判断は、それほど普遍性をもつものではないかも知れない、ということをつねに忘れないことがたいせつです。それは言い換えれば、自分の「常識」を拡大適用しないという節度を保つことです。
私たちにとって「ナチュラル」に映るのは、とりあえず私たちの時代、私たちの棲む地域、私たちの属する社会集団に固有の「民族誌的偏見」にすぎないのです。
そういうふうに考えると、「ポスト構造主義期」を生きている私たちは、「構造主義を『常識』とみなす思想史上の奇習の時代」を生きているということになります。
そのような時代は、(あとで見るように)比較的最近始まったものであり、当然、いずれ終わりが来ます。しかし、私たちはいまのところは「構造主義が常識である時代」にとどまっており、そこからの決定的な踏み出しは未だなされてはいません。
なぜでしょう。
それは、いま私がしているような「問題の立て方」そのものが「構造主義的な」問題の立て方以外の何ものでもないからです。(話がややこしくて、すみません。)
ご説明しましょう。
「私たちはつねにあるイデオロギーが『常識』として支配している、『偏見の時代』を生きている」という発想法そのものが、構造主義がもたらした、もっとも重要な「切り口」だからなのです。
つまり、構造主義という「思考上の奇習」についての批判的省察を行うときに、そのための学術的「ツール」として私たちがとりあえず使えるものは、構造主義しかないのです。
構造主義的知見を利用することなしには、構造主義的知見を批判的に省察することができないという出口のない「無限ループ」の中に私たちは封殺されています。この「ループの中に閉じ込められている」というのが「あるイデオロギーが支配的な時代を生きている」ということです。
これに類する事例としては、「マルクス主義の用語を使わないと、マルクス主義的知見を内在的に批判することはできない」と信じられていた時代が少し前まであったことを思い出して下さい。
例えば、一九七〇年代にマルクス主義の運動を批判するとき、「マルクス主義? 知らないねえ、何かね、それは?」というような言い方は許されませんでした。批判者に許されたのは、マルクス主義を掲げる思想や運動がマルクスに照らして、いかに「十分にマルクス主義的」でないかを論証することだけでした。(つねに、より「革命的」で、より「ラディカル」で、より「人民の大義」に貢献するような理説の名において、既存の制度や運動は批判されたのです。)
ですから、ソ連東欧の社会主義体制が次々と崩落したときでさえ、当時の左翼知識人は口を揃えて「失敗した社会主義は『真の社会主義』ではない。『真の社会主義』はただいまも粛々と建設中である」と語ることができたのでした。
「マルクス主義が支配的なイデオロギーであった時代」というのは、みんながマルクスの本を読んでいた時代のことではありません。そうではなく、マルクス主義思想や運動についての批判的記述が、もっぱらマルクス主義の用語や概念を使ってしか試みられないことを誰も「変だ」と思わなかった時代のことです。
あるイデオロギーが「支配的である」というのは、そういうことです。
マルクス主義の場合は、「もう、そのことばづかい、止めません?」ということがなんとなく集団的な了解に達したときに、「支配的なイデオロギー」であることを止めました。別に、誰かがマルクス主義を根底的に批判し切ったとか、歴史的経験がマルクス主義の不可能性を告知したからではありません。(マルクスの知見はこれまでも、これからもおそらくつねに有効です。)そうではなくて、単にみんなが「マルクス主義的にしゃべるのに飽きた」というだけのことです。
構造主義についても同じことが起こるだろうと私は思います。
いまのところ私たちは「構造主義の用語を使わないと、構造主義の成り立ち方を説明することができない」ループの中に封じ込められています。しかし、いずれ構造主義特有の用語(システム、差異、記号、効果……)を使って話すことに「みんなが飽きる」ときがやってきます。それが「構造主義が支配的なイデオロギーだった時代」の終わるときです。
本書はそのような構造主義の時代の「終わりの始まり」を示す徴候の一つとみなしていただければよいかと思います。私は別に進んで構造主義の「死期」を早めるためにこの本を書いているわけではありませんが、本書を読み終わったころには、おそらく読者のみなさんは、「システム」とか「差異」とかいうことばにかなりうんざりし始めているでしょう。