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寝ながら学べる構造主義03

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
核心提示:2 アメリカ人の眼、アフガン人の眼[#「2 アメリカ人の眼、アフガン人の眼」はゴシック体] 同時多発テロ事件のあとアメリ
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2 アメリカ人の眼、アフガン人の眼[#「2 アメリカ人の眼、アフガン人の眼」はゴシック体]
 同時多発テロ事件のあとアメリカによるアフガン空爆が始まりました。
そのとき、「アメリカの立場」から一方的にものを見ないで、「爆撃され、家を焼かれ、傷つき、殺されているアフガンのふつうの人たち」の気持になって、この戦争を考えたら、ずいぶん違った風景が見えてくるだろうという意見が多くのメディアで紹介されました。同じことを新聞の社説でも投書でも知識人や政治家のインタビューでも多くの人が口にしました。
戦争や内乱や権力闘争について、コメントするときに、一方的にものを見てはいけない。なぜなら、アフガンの戦争について「アメリカ人から見える景色」と「アフガン人から見える景色」はまったく別のものだからだ、ということは私たちにとって、いまや「常識」です。
しかし、この常識は実はたいへん「若い常識」なのです。
このような考え方をする人はもちろん一九世紀にもいましたし、一七世紀のヨーロッパにもいました。遡れば、遠く古代ギリシャにもいました。しかし、そういうふうに考える人は驚くほど少数でした。そのような考え方をする人、あるいはそのような考え方を受け容れられる人が国民の半数以上に達して、「常識」になったのは、ほんのこの二十年のことです。
例えば、いまから三十年ほど前、アメリカはベトナム戦争でみじめな敗北を経験しましたが、その当時、「アメリカ人から見たベトナムの風景」と「ベトナム人から見たベトナムの風景」は違うというようなことは、ほとんどアメリカ国民の脳裏に浮かびませんでした。アメリカにとって、ベトナムは「ドミノ理論」という数式的な世界戦略の中での「ドミノ」のコマの一つに過ぎず、「生身のベトナム人はアメリカのアジア戦略をどう評価しているのだろうか」というようなことを真剣に配慮している政治家はほとんど存在しませんでした。
そのさらに三十年前、当時の大日本帝国臣民にとって、「日本人から見た満州国」と「中国人から見た満州国」が別様に見えるというようなことは少しも「常識」ではありませんでした。「中華民国の人々から見た満州国の評価」を尊重しつつわが国のアジア外交は展開され立案すべきだというようなことを説いた日本人はほとんどいませんでした。
A国人とB国人は同じ一つの政治的事件について違う評価をするということは「事実」としてはもちろん誰にだって理解できます。しかし、ABそれぞれの国民のものの見方はとりあえず「等権利的」であり、いずれかが正しいということはにわかには判定しがたいという意見を公言した人は、世界中どこでも、近年まで、ほんとうに少数だったのです。
ヨーロッパでも事情はそれほど変わりません。
一九五○年代のアルジェリア戦争のとき、ジャン=ポール・サルトルは「フランスの帝国主義的なアルジェリア支配」をきびしく断罪しました。サルトルが「フランス人のものの見方」を相対化したことは確かです。しかし、サルトルは「アルジェリア人民の民族解放の戦いは断固正しい」と言ったわけであって、フランス政府の言い分にもひとしく配慮したわけではありません。
国際的紛争においては、抗争している当事者のうちどちらか一方に「絶対的正義」があるはずだ、というのがその時代の「常識」であり、その「常識」はサルトルにおいても、少しも疑われてはいませんでした。
この時期に「フランスとアルジェリアの言い分のいずれが正しいかは、私には判定できない。どちらにも一理あるし、どちらも間違っている……」と正直に語ったフランス知識人は、私の知る限り、アルベール・カミュただ一人でした。そしてカミュはこのときほとんど孤立無援だったのです。
それがどうでしょう。
「ジョージ・ブッシュの反テロ戦略にも一理あるが、アフガンの市民たちの苦しみを思いやることも必要ではないか」というのは、街頭でいきなりTVにインタビューされた場合にとりあえず無難な「模範解答」です。人々はまるで判で押したように同じことを言います。「とりあえず無難」とみんなが思っている意見のことを「常識」というのです。そして、このような意見が「常識」になったのは、ほんとうにごく最近のことなのです。
世界の見え方は、視点が違えば違う。だから、ある視点にとどまったままで「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」と主張することは論理的には基礎づけられない。私たちはいまではそう考えるようになっています。このような考え方の批評的な有効性を私たちに教えてくれたのは構造主義であり、それが「常識」に登録されたのは四十年ほど前、一九六○年代のことです。
構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。
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